「二十歳になったら一人を殺す」
 とある村にそんな掟があった。
 現代で成人と呼ばれる年齢になった人間が、そのような残酷な行為を行わなくてはならない唯一の目的は、
「『能力(ちから)』の濃度を高めるため」
 だった。
 村人の殆どは片親をその手にかけ、それが出来ない者は隣人を殺した。しかしその隣人も皆遠からず血がつながっている。それほどの近親関係がその村にはあった。苗字こそ違えど、この村人の全てを含めて一つの家族と言っていいのだろう。
 全ての村人が『能力(ちから)』の濃度を高め、家族含む村人を守るためだけを目的とした生活を、ただ淡々と永遠に送っていた。
 表層からは家族と隣人を守るというその様だけを見ると、人との絆を感じる点で素晴らしいこの生活は、その目的のために異常だった。

 ◆I-1

 今日はまさに青空という言葉がぴったりの空だ。
 見渡す限りの青は境界など無く、地面に寝ているのに自分がその中を飛んでいるような錯覚さえ覚えてしまう。秋も中盤に差し掛かった頃で気温も丁度良く、体を撫でる風が気持ちいい。
 こうやって晴天の青い空を見ると気分も晴れやかになるのだが、雨が降りそうな厚い雲に覆われた灰色の空を見ると気分が重く感じる。同じ空でもこれ程に感情が変わってしまうのは、色によって感じるイメージの違いだろう。
 空に限らず自分達が見ている物や現象については、色によってイメージが固まっているし色からイメージ出来る感覚がある。
 唐辛子は赤々としている程『辛そう』に思えるし、赤という『色』での自分達が持つイメージは他にも『熱い』とか『危ない』というものがある。
 そして自分達がそう感じるのは、今まで生きてきた中で見てきたものと、その時の感情を何度も確認しながら過ごしてきたからだろう。目に見えるものならば色によって具体的にイメージできる。

 ――しかし、見えないものはどうだろうか?
 人の性格や心を見ることはできない。それを色で表そうとするのは、表そうとする人それぞれの感覚による連想作業になる。
 その人と接しながらなんとなくイメージを膨らませてその人の色を創造していくが、自分で創造したものだから接するうちに本人とのズレは必ず出る。だから、色は絶えず修正されていく。
 絵の具を加えたり減らしたり、濃くしたり薄くしたりするようにしてその人の色を決める作業。
 しかし、そうして出来た色も唯一無二ではない、人がすべて違うように、イメージから連想される色も人それぞれだからだ。
 結局、視覚的に見えない抽象的なものは確実ではない。
「ま、見えても同じだったけどな」
 なぜか自分には物心ついた時には見えないはずの『人の色』が見えてしまっていた。見えると言うのはもちろん物理的にであり、その人の周りに色のついたモヤのようなものがゆらゆらまとわりついている様に見えた。
 この『色』がその人の人間性や感情を表しているものだと理解したのは、色の持つイメージをなんとなく理解し、色々な人と話す機会が増えた小学校高学年ぐらいからだった。
 見えていると感じ始めた頃は目がおかしくなったと思ったが、先生に話すと、「何かが特別に見えるからといって、君が特別になる必要はない」と言われた。ああなるほどと理解してからは特に気にしなくなっていた。
 人の色が視覚的に見えても、色の印象はあくまで個人が抽象的に連想したものなのであまり意味が無い。
 それでも最初から人間性が見えるなら人間関係が円滑に進めそうだと思いきや、色と同じで人も千差万別なのでなんとなくでしか役に立たない。だから、こんな能力は児童相談所の人とかが持っている方がよほど有用に使えると思う。
「いっそ人が思ってる事が聞こえる能力が欲しかった」
 漫画で見たような、それぐらい具体的にわかるそんなサイコメトラーな能力ならもっとまっとうに生きられたのに。……まっとうってどうなればまっとうなのだろうか。とりあえず今まで特に問題なく生きているからまっとうと言えばまっとうか。

 難しいことを色々と考えるのも飽きたので、寝ていた芝生から体を起こした。某教師の物語に頻繁に出てくるような前方に大きな川が流れているこの土手で、寝転びながら何かを考えるのは好きだった。
 家までは一キロある。
「早く帰らないとまたあいつになに言われるかわからないからな」
「あいつって誰よ」
「うおぉぉっ!?」
 見上げるとピンクのワンピースに白いハンチング帽を被った幼なじみの嘉陽志恩(かようしおん)が上から睨んでいる。……ワンピースはいいとして、なんでハンチング帽なんだよ。色合いはいいとしても、その組み合わせのチョイスはどうなのよ。しかもなんでその帽子の横に「G」って入ってんの? なんかのスポーツのチームか?
「だからあいつって誰よ明塗(あきと)」
「お、お前のことだこのハゲ!」
「オマエの方が遺伝的にも衛生的にも確率が高いだろうが! このハゲ!」
「うるせぇ!」
 確かに肩より長い黒髪をなびかせているお前には適当な言葉じゃなかったかもしれん。そして遺伝的なことは返答の余地がないが、衛生的とは聞き捨てならん。
 髪は毎日洗ってるしトリートメントもしているし、しかも将来を見越して早くも信頼できる育毛剤の選定に入っている。……なんか最後の悲しい。
「少なくともお前の心よりは綺麗ですねー」
「いいから帰るぞコラァ!」
 ドカッ!
「ぐおっ!」
 命名やくざキック(ただの前蹴り)が良い角度で右大腿部にヒットした。
「乱暴すぎる! 女とは思えない!」
「貴様が俺を男にさせる!」
「もうやだ……」
「私がね」
 志恩は女のくせに乱暴な性格で、怒ると蹴りを放ってくる。背丈は百七十ある自分より十センチは低いはずで、切れ長の目からくる目つきの鋭さ以外はどこかあどけなさを残す顔の造形も悪くない。黙ってればおそらくそれなりに可愛く見えるのに……。
 おそらくというのは、自分ではそうは思えないから。こんなことが頻繁に行われていたら可愛く見えるはずがない。かわいいは正義ではないし、人は本当に顔ではないと思い知る。
 ……でも服と同じくこいつの『色』は綺麗なピンクなのになぁ、なぜそんな奴がやくざキックなんてするのだろうか。目つきのせいか?
 もうなんなのこいつ。
 これだからやっぱり能力なんてあっても意味がない。表面だけじゃ図れない。

 ◇

 河川敷には犬を散歩中の人やジョギングしている人がいるが、一人消えては一人現れるという感じだ。この人の少なさが考え事をするのにさらに向いているのかもしれない。
 大きな川に見合う大きな橋がある所から土手の階段を降りていき、そのまま川と直角方向に歩いていくと、俺達の住む家があるひとつの集落に着く。
 その集落へ歩いていく時に、向こうから一人の人間が歩いて来た。その人間は紺色のフード付きの長袖ナイロンウェアを着ている。別にその人間は走っているわけではないが、格好からはジョギング中の人を想像させた。身長は自分より少し高いぐらいだろうか、俺はなんとなく志恩とその人間の間に自分の体が入るようにした。
「なに?」
「……なんでもねえよ」
 そのままその人間とは何事もなかったようにすれ違った。すれ違い様ちらりと見た容姿で男だということはわかった。
 そして、なぜかすれ違った後に何となくねっとりとした感覚だけ残った。何より気になったのは――
「――あんな真っ黒な人もいるんだな」
「え? なに?」
「なんでもねえって」
「うそつけ! 黒がどうしたって言ったじゃない!」
「うるさいな! お前のパンツが黒かったって言ったんだよ!」
「な、な、どこで見た!?」
「さっきの土手で。俺が寝てるあの体勢だと完璧だろ、むしろ悪意さえ感じる」
「……」
「……?」
「……ここからいなくなれぇえええ!」
「だから乱暴すぎるって!」
 こいつここ最近本当にヒステリックだなぁ。昔は別にそうでもなかったのに去年ぐらいからこうなったような。……誰かに狂気の魔法でもかけられたのだろうか?

 ◇

 志恩の蹴りから逃げながら集落に入る。十数件ある家はどれもいわゆる昔ながらの木造建築瓦付きの家ではなく、現代風の工法の効率と効果を併せ持つツーバイフォーの家々である。外見はどの家も同じ形をしており、面白みがない。
 俺達はその同じ形のどの家にも入らず、集落の中心にあるクリーム色の教会のような形をした建物に入った。
「ただいま先生!」
「ただいま」
「お帰り嘉陽さん、相馬(そうま)君も」
 玄関には東陽先生がいた。
 東陽知与先生。優しさを体現したような容姿と口調で、見える色まで暖かいオレンジである。まるで神父のように語りかける齢五十五を数えるこの男性教師が俺達の先生であり、親である。そして俺達は幼年期にここに預けられ、育てられたいわば孤児であった。
 俺も志恩も一歳ぐらいで預けられ、それから今まで東陽先生や他の孤児仲間達と暮らしてきた。俺や志恩が預けられた時点で先生は孤児預かりを辞めてしまい、孤児仲間は去年すべてここから卒業したため、今この孤児院に住んでいるのは三人である。
 預かりを止めた理由を先生は「疲れたから」といっているが、去年のクリスマスにシャンパンをラッパ飲みしながら叫び踊っているのを見る限り、それは嘘だろう。
 預かりをやめた理由は知りたいが、こちらからは聞くのは止めておいた。今はどこぞの塾で国語の講師をしているらしい。
「今日はどこにいたんですか相馬君?」
「このハゲはまたあの川のところで寝てた」
「だからハゲるかどうかはわからんだろうが!」
 親の顔も知らないのにその親の毛のことなんかわかるか!
「大体お前のほうがハゲるかもしれないだろうが!」
「そんなことない! こんなにかわいいのに!」
「そうだそうだ」
 こいつ、意味不明だししかも自分で言いやがったって先生!?
「相馬君、君はもっと嘉陽さんを大事に扱ったほうがいいですよ」
「そうだそうだ」
「くっ……!」
 先生は大体志恩の味方をする。何か弱みでも握られてるんだろうな。押しに弱そうだし。体も細めだし。
「そんな事はないですよ。嘉陽さんの味方をするのはかわいいからです」
「さすが先生! わかってるぅ!」
「先生! 外見にだまされちゃだめだ! そいつは猫の皮をかぶったカンガルーだ! 化かされてるよ!」
 怒らせると本性を現してキックが飛んでくるから!
「まあまあ二人とも。そろそろこのへんにしてご飯にしましょうか」
 先生がそう言って会話を切り奥へ促した。

 ◇

 外見からは想像し難い引き戸で開ける純和風の玄関から靴を脱ぎ、すれ違う時に多少体をひねらなければいけない程度の広さの廊下を抜けると、四十人の机が並ぶ学校一クラス分の大きい部屋があり、八人がいっぺんに座れる木机が二つある。
 その机の一つに三人分の料理が置いてあった。この状況は明らかに寂しく見える。元は十五人以上住んでいた場所だから仕方ないとは思うが、他の孤児がいなくなって一年も経つ頃にはもう見慣れた風景で、俺は机に乗った皿の料理を見た。
「今日の夕食はポークジンジャーともやし味噌汁か」
 先生の作る生姜焼きは食材が変わってもどれもがおいしい。料理のレパートリーはもちろん他にも色々あるのだが、先生も自他共に認める生姜好きで月に二回ほどはジンジャー祭りが行われているあたり、先生の生姜愛を感じる。食材は卒業した孤児仲間がたまに持って来てくれたりするため事欠かない。
 ちなみに今日は祭りではないのだが、それでも週に二回は何らかの形でその薬味は登場する。――生姜のおかげで冬でも体は暖かい。
「大学はどうですか?」
「特に今日も問題なく過ごせたよ先生」
「……」
「あんたまたサボったわね」
「今日は体の調子が悪かったな」
「何回目だと思ってるの!」
「回数の問題ではないな」
「お前が言うな!」
「時は金なり。時間がもったいないな」
「先生に金返せ!」
「まあまあ二人とも。明塗くんもそのくらいにしないと『あの部屋』行きですよ」
「すみませんでした明日はちゃんと行きます」
 ……あんな生姜まみれの部屋で過ごしていたら三日と待たずに超健康優良児になり、一週間で生姜栽培農家に「神の子だ」と言われスカウトされ、数年後に「現代生姜の生みの親」になってしまう。一週間でその後の一生が決まるのは勘弁願いたい。
 そんな恐ろしい部屋がある。

 ◇

 洗い物をしている時に(家事は当番制。先生もやる)先生から「後で私の部屋に来てください」と言われたので家の奥にある先生の部屋に向かい、ドアをノックする。
「先生、来たよ」
「どうぞ、入ってください」
 中に入ると家のどの場所よりも寒く感じた。それはこの部屋の雰囲気のせいだろう。
 机と小さな本棚とベッドのみの六畳一間でテレビさえ無い。理由を聞くと「考え事をするのに向いているのと、気持ちが引き締まるから」ということだ。何より驚くのは、あれほど愛している生姜が無い。そうか、『あの部屋』は先生の愛が全て詰まっているんだなぁ。先生住む部屋間違ってません?
「そこに座って楽にしてください」
「うん」
 イスは一つしかないのでベッドに座る。何も無い部屋なので目を遊ばせることも出来ず、気が紛れないのでなんとなく緊張する。
 そういえば小さい頃見たことがあるのだが、机の中にはナイフと薄い鉄板が二枚入っていた。見た目はどちらかというと、苦無(くない)のようにも見えた。
 何故机の中にこんなモノがあるかと聞いたら、護身用です≠ニ答えが返ってきた。
 正直、東陽先生を襲う奴はかなり運が悪いかもしれない。
 その理由は、風呂の時に確認できる。東陽先生の体は、年齢からは想像も出来ないほどに洗練されていて、細いながらも屈強な体をしていた。
 現役のアスリートの中に入っていても遜色(そんしょく)はないだろう。
 そして、それ以上に驚くことがある。体に無数のキズがあるのだ。昔事故に遭ってしまって≠ニいうのだが、そんなキズではない気がする。明らかにサバンナあたりで百獣の王になるために負ってきたようなキズだ。
 キズのことを聞くと少し雰囲気が悪くなるので、それ以上は何も聞けないが、国語教師の体ではないのは確かだった。
「君は二十歳になり、嘉陽さんの誕生日ももうすぐですね」
「そうだね。ここまで育ててくれて本当に感謝してる」
「いえ、無事に育ってくれてこちらこそ感謝しています。むしろ親らしいことをうまく出来ずに謝りたいぐらいです」
「先生は間違いなく親でもあったと思うよ」
 みんなの『先生』だったので父とは呼ばなかったが、間違いなく親だったと胸を張れる。何よりこの人が大好きだという事実だけで十分だった。
「……そうですか。それでは月並みな質問ですが、夢はなにか見つかりましか?」
「今のところは別に」
「そうですか……」
「先生が仕事を見つけてくれればそれをやるよ。……生姜以外で」
「君に何かやりたい事があればそれに協力は惜しみませんが、明塗君」
「……」
 先生が昔から名前で呼ぶ時は大事な事を言う合図だった。
「君は大事な物事ほど、判断は他人任せにしがちです。今までは私や嘉陽さんが居ましたが、これから先はそうはいかない」
「……」
「どうしても君が決断しなければいけない、いずれその時がくるでしょうから」
 ――確かにそれは言うとおりだ。自覚はあった。だが、自分にそれが出来るのか内心不安になる。今まで意識的無意識的関わらず避けてきた……。
「心構え、覚悟といいますか。それだけ覚えておけばいいですよ。そして最後は自分でしっかり決めてください。大丈夫、君が一生懸命考えて出した決断なら、例え後悔したとしても納得出来ますよ。少なくとも私と嘉陽さんは応援します」
「わかった」
 やはり先生は先生であり親だった。必要な時に大事なことを教えてくれる。

「――それから」
 いい忘れていた事を思い出すように先生は言った。
「見える物や聞いた事が全てではない場合があること、判断が難しいですがこれも覚えておいてください」
「そっちの方は確かに難しそうだな」
「ええ、全ての物事に対して疑いを持つと言う行動につながりかねませんからね。なので、君自身が大切だと思った事に対して考えてみてください」
「大切だと思った事」
 大切な事なんて――数えるぐらいしか無い、これから先もそんなに無いだろう。それならなんとか出来るかな。
「そっちもわかった」
「ありがとうございます。今日言いたかったことはもうありません。それじゃあおやすみなさい、相馬君」
「おやすみ先生」
 先生の部屋を出て自分の部屋に向かう。
 久しぶりにもらった大切な言葉なので、忘れないように気に留めておこう。――志恩にも何か言ってたりするのか? 明日それとなく聞いてみよう。

 ◇I-2

「あなたの望むようにやりなさい≠セって」
「え?」
「それだけよ」
 大学登校中それとなく聞こうと思ったがついつい普通に聞いてしまった。というか、別に恥ずかしがって隠す内容でもなかった。
「でもそれって今でもやってるじゃん」
「そうかしらね」
「そうだろ? 俺にはそう見えるが」
「……大事なことはやれてなかったりするものよ」
 ちょっと遠くを見ながら志恩は答える。いきなり何をしんみりとした事を言っているのか?
「全く、先生はホントなんでもお見通しだわね」
「ふーん。まあそれには同感だがな」
 こいつが出来ない事ってなんだろうか? いや、出来る出来ないではなく少なくともやろうと思った事はやっているはずなのに。
「まあ、がんばれよ。応援してやるからさ」
 昨日先生は応援してくれると言った。二人からしてもらうのに俺がしないわけにはいかない。下手な借りも作りたくないし、恩は売っておいて損は無いだろう。
「へぇー? 応援してくれるんだ」
「ああ、ちゃんと考えて決断した事ならな」
「自分は出来ないくせに。――わかったわよ、そのうちやってみるわ」
「がんばれよ」
「応援するからには絶対服従よ?」
「その連想はおかしい」
 一体俺に何をさせようというのか?

 昨日も居た川沿いの土手を歩く。大学までは最短距離で歩けば十五分程度で着くが、この道を通ると時間が倍かかる代わりに人の通りがほとんど無くなる。ここを歩いても学校には余裕を持って到着できる為そうしているのだが、ならもっと寝かせろと言っても多数決が二対一なのでそれは出来ない。
 結局、毎朝ピンクに蹴り起こされるのが嫌なのでこのような状況になっていた。
 反対方向から一人の人間が歩いてきた、紺色のフード付きウェア――昨日の男だ。靴音も立てないような静かな足取りで男は距離を縮めてきて……今度は俺達の前で立ち止まった。
「君が相馬明塗君だな」
 フードをとった男は柔和な顔だが微笑み一つせず喋りかけてきた。
「…………あんた誰だ?」
「私は島総一郎(しまそういちろう)。単刀直入に言おう、両親に会いたくないか?」
「……」
 ――こちらに喋りかけてきたと思ったらいきなり驚くことを言われ、一瞬思考を止めてしまった。
「……いきなりそんなことを言われても……」
 十九年間顔はおろか生死さえ分からない親にいきなり会いたいかと言われても、全く実感が湧かない。
 そもそも俺は不要になったから預けられたわけで、不要物を除いて幸せに暮らしているだろう場所にいきなり現れても邪魔者扱い、下手したら疫病神扱いされかねない。もうその人達は別の道を歩いている他人だ、会う義理も無い。
「……会いたくないから別にいい」
「両親の方は君に会いたがっていると思うが」
「……どういう事だ?」
「とある村がある。その村の名前は『彩葉(いろは)村』という……一つの『掟』によって縛られた檻だよ」
 ……今のご時世『掟』なんてホラー映画や漫画でしか聞かない言葉じゃないのか? この男は何か冗談か比喩表現でも使ったのだろうか? しかし、島は表情を崩さなかった。
「その村に何か関係が?」
「君はその村の出身なんだよ」
「え?」
 自分の出身地のことは先生も知らなかった。自分を預けに来た人が明かさなかったらしい。本人達と面識がある先生がわからなかったことをなぜこの男は知っているのだろうか?
「君の両親は何らかの理由で君を村から放した……いや、逃がしたと言った方がいいのだろう。そして今だあの檻(むら)に縛られている」
 檻のような村と村人を縛った『掟(くさり)』。
 島はどこか懐かしさと哀しさを混ぜた表情に顔を変えながら、
「家族がそんなもので離れてしまうなんておかしいだろう? ……実は私もその村出身でね。あることがきっかけで村から抜け出した。だから私はあの村の村長に会って、そんな馬鹿げた掟を辞めさせる為に動いている」
 ……なるほど、村の出身者なら俺を生んだ人達のこともわかるかもしれないな。その『掟』というものがどんなものかは知らないが、この島が抜け出したという話が本当なら、あるいは『両親に会う』という言葉も再考する価値がある。……だが、疑問に思う。
「他にもあんたみたいな人はいなかったのか? ……その、俺の両親だって言う人とか。あんたのように抜け出したり掟を止めさせるために動いたり」
「それはまず居ないだろう」
「……なんでそう言える」
「村人全員が『掟』に協力しているからだ」
「え?」
 掟を破るとそれほどまずいことでもあるのだろうか? そして協力をしなければならない人がどうして子供を村から出したのだろうか?
「詳しいことはまた後日落ち着いて話したい。君の力を貸してくれないか?」
「……普通の大学生が使える力なんてたかが知れてると思うけどな」
 島はその回答に要領を得ない顔をした。回答がずれていたのだろうかと一瞬思ったが、すぐ表情を会った時と同じに戻していた。
「そうか、なるほど。君はまだ使えないんだったな。どんなものかは後で教えよう」
 まだ使えない? なんのことだろうか。――力、といわれたら、自分は一つ思い当たる『能力(ちから)』を持っている。だがまあいずれにしても、
「いきなり初めてあった人においそれと付いて行くわけにはいかないな」
「そうか、では名刺を渡しておこう。考えがまとまったらぜひここに来て欲しい」
 そう言って名刺を渡すと島総一郎と名乗った男は去っていった。
 来た時と同じような静かな足取りで。
「しかしやっぱり黒いな」
 実際しゃべった印象としては、その色は別として、内容と言葉は純粋な人のようだった。
 しかし、自分も同郷の出身らしいのにこんなことを言うのもどうかと思うが、せっかく抜け出してそんな変な環境と無関係になったのに、他の人も助けてあげようなんてずいぶん正義感溢れる人だな。村に結婚を誓った恋人でもいるのだろうか? まあその辺はこの名刺のところに行けば聞けるのかもしれないが。
 俺達は去っていく島の後ろ姿を少し見届けた後、通学を再開した。
 
 さっきの間中、志恩がずっと静かだったのが少し気になっていた。
「なあ、さっきからなんでずっと黙ってんだよ。らしくねぇぞ」
「らしいってのがよくわかんないけど……ちょっとね」
「ん? なに?」
「――いや、なんかあの人やさしそうには見えるんだけどなんとなく違和感があったからよく観察していたのと…………話の内容がさ、『両親に会う』だったからちょっと反応しちゃって」
「……」
 そうだったのか……いや、考えなくともわかることだった。結局志恩も孤児なのだから、両親は近くにずっと居なかった。志恩の場合は両親の顔や所在が多少わかっていることもあり、俺よりも両親に対する想像とか逢いたい気持ちがあったのだろう。それだけに『両親に会う』というキーワードが出てきたので固まってしまったに違いない。
「ま、あんたに言ってもしょうがないことよね」
「……ああ、そうだな。ほんとにしょうもない」
「しょうもなくはないから!」
「あー間違った間違った。気にすんな」
「……くぅ〜」
 志恩はちょっと俺の前に出て、
「ていっ」
 回し蹴りを放った。スラっとした足は綺麗な放物線を描き、足の裏が左大腿部にヒットする。
「いてぇ!」
「日ごろの行いが悪いせいね」
「お前の行いだろこれは!」
「さ、早く行くわよ」
「……通学速度は確実に落ちたけどな」
 今日もいつも通りの健康な五体不満足通学だった。

 ◇

 学校は特に変化もなくつまらなかった。そのため講義中は朝の事をずっと考えていた。
 島の話だと両親は自分を不要物として切り捨てたようではないようだが、それだと理由が気になる。大切に想っている自分の息子を自分達の手元から離さなければいけないほどの理由とはなんだろうか? まあそれは本人に聞かなければわからないだろうが……などと考えたが、やはりどうも『両親』と言う言葉に実感が湧かない。
 両親の記憶も無いまま長い時間その両親と無縁の生活を送ってきたのだから、それも当然なのだろうか? 少なくとも、今の時点で親と呼べる存在は東陽先生だけだし、その事実だけで今の自分には十分足りている。
 とはいえ一度見てみたいとか理由が聞いてみたいという興味が無いわけではないので、やはり島にはもう一度会って話をしてみた方が良いのだろうか? 先生や志恩からも言われるが我ながら優柔不断だなと思う。
「ま、親のことは親に聞いてみるか」
 東陽先生に言われた通り、人任せでもあった。

 ◇

 学校から施設に戻ると先生が庭で花に水をやっていた。
 庭の大きさは、施設の立っている土地の半分位だろうか、そしてさらにその半分は先生の趣味であり孤児達の食材にもなるガーデニング兼家庭菜園になっている。色とりどりの花や季節ごとの野菜があり見た目としてはとても良い。
 そして、もちろん週に二回は食事に出てくる、明らかに他の植物に比べて高級肥料で特別待遇されている薬味も栽培されている。むしろ、他の植物はその薬味の存在を希薄にするためのカモフラージュのようにも見えるのだが……隠す必要はあるのだろうか? 
「おや、おかえりなさい。今日は一人なんですね」
 先生は水をやる手を休めこちらに顔を向けた。
「ああ、あいつは友達と遊んでから帰るってさ」
「相馬くんは遊んでこないんですか?」
「ん……今日はいいや」
 別に遊ぶ友達がいないわけでもない。高校からの同級生が同じ大学にいるし、大学でもごく少人数ながら友達と呼べる人間もできた。今日は聞きたいことがあったしお金もあまり無いので帰ってきた。
「先生、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「奇遇ですね。私も相馬くんにお話したいことがあります。では、コレが終わったら私は部屋に戻りますので、その時に部屋に来てください」
「ん、わかった」
 先生はそう告げて水やりを再開した。まあそれほど広いものでもないし、諸々含めてあと十五分ぐらいだろうか。それまで自分の部屋でおとなしく漫画でも見ていよう。

 一時間ぐらい漫画を読みふけってから、先生の部屋をノックし、中に入った。
「そこに座って楽にしてください」
 昨日と同じセリフを言われて、同じようにベットに座った。
「さて、まずは君の話を聞きましょうか」
「ああ」
 俺は今日の朝に島と会った事を話し、そして同時に自分がどうしたらいいかを質問してみた。
「そうですか、実は私が話したかったこともそれについてです。私のところにもその男が来て同じようなことを言っていました。ただ、私には男の過去は語ってもらえませんでしたが。それで君の質問についてですが、君自身はどうしたいのですか?」
「先生が決めてくれたらそれにしようかなと」
「明塗君。私が昨日言ったことを覚えていますか?」
「……悪かった」
 表情が微笑のままなのがまた怖い!
「そうだなぁ、色々考えたけど居場所を聞いてしまった以上行かないわけにはいかないというか……いや、やっぱり好奇心なんだと思う」
「好奇心、ですか。一応君を産んだ両親なんですが」
「実感が湧かないからな。実感がある親は先生だけだし」
「そうですか、嬉しいことを言ってくれてありがとうございます。それで、私から君へ言う事があるとすれば……私も会った方が良いと思います。捨てに来たのではないのだとしたらどんな理由であれ子供には会いたいと思うはずです」
「そんなもんですかね」
「一応親と認めてもらっている人間からの言葉です」
「……そっか。じゃあ時間ができたら行ってみるよ」
「良いことがあると良いですね」
 先生にお礼を言って部屋を出る。島総一郎はここにも来ていて先生に説得をしていた。
 それほどまでに自分が必要なのだろうか? あの男の目的からすれば自分はそれほど必要でもないように思われるが、村人全てを助けるようなことも言っていたしそういう人なんだろうと考えた。

 ◇

 次の日は大学の授業も少なかったので終わり次第、早速島総一郎のいる住居へと向かうことにした。別に急がなくても良いのだが、やはり好奇心と……少し期待もあるのかもしれなかった。
 名刺に書いてあった住所は、今住んでいる最寄りの駅から五駅離れた所だった。周辺は自分の住んでいるところとは違い、瓦屋根の一軒家が立ち並ぶ田舎らしい住宅街だった。時間も午後四時を過ぎ、夕日に照らされた景色は風景画のようだった。
 車がすれ違うのも大変な細い路地を進んで行くと、コンクリートブロックの壁にかけられた『島』と書かれた表札と、その前に佇んでいる金髪の一体の人形――いや、少女がいた。
 あまりにもこの場に不釣合い、いや、日本に不釣合いの金髪碧眼の少女は表札の前でじっとしている。その様も含めフランス人形のように見えたため思わず見とれてしまったのだが、いつまでも見惚れているわけにもいかないのでとりあえず話しかけてみた。
「こんにちは。君、この家の人?」
「……」
 応答なし。本当に人形なのだろうか? ――いや、もしかしたら言語が違うのかもしれない。レパートリーは少ないが他の言語で挨拶してみよう。
「ハ、ハロー」
「……」
「ぐ、グーテンターク」
「……」
「……メルシー?」
「メルシーはありがとうだ」
「!?」
 玄関に近い方を向くと島が立っていた……いや、別にそんなことは知ってるし。ちょっと趣向を変えてみようと思っただけだし。
「マリー、その人はお客さんだから挨拶してくれ」
「……こんにちは」
 見た目通り可愛く透き通るような綺麗な声で……普通に日本語で挨拶された。ふーん、先程の対応はそういうことでしたか。そんなに怪しい人に見えたんだろうか? それとも眼中になかったとか――まだ認識してもらえただけ前者のほうが良いなと思う自分が居た。
「長くなりそうだから家の中に入ってくれ。マリーも」
 そう島が促すと、マリーと呼ばれる少女はこちらのことはまるで気にすることはなく家の中に入っていった。……やはり後者なのだろうか。
 家の中も外見通りで部屋といえば畳張りの茶の間が一つと洋間が二つあるだけの平屋だった。自分が将来住むとしたらこういう家が良いかなと思いつつ、茶の間のこたつ(電気はついて無い)に入り日本茶をすすっていると、
「では話をしよう」
 とお茶請けの煎餅を持って島がやってきた。
「特に俺から話すことは無いんだけどな」
「では先日の回答から聞こう。承諾と言う事でいいんだな?」
「わざわざここまで断りにはこねぇよ」
「そうか、それはありがたい。では、そうだな……昨日話した通り少し詳しい話をきかせよう」
 島は湯のみを自分に近づけゆっくりそれを自分の口に傾けた。その姿はとても様になっている。見た目は三十歳前半ぐらいだと思うのだが、その物腰のせいでより年上に見えた。
「話すと言ってもなにから話すべきかな」
「全部話してくれればいい」
「確かにそうだな。では、『彩葉村』のことから話そう。場所は君のいる場所から意外に近い、ここから電車では八駅、君が住んでいる所の駅からは三駅だ。人数は……そう、四十人ぐらいだな。全員血が繋がっている。そして昨日も話した全ての元凶とも言える肝心の『掟』の内容だが、二十歳になったら村の人間を一人殺すというものだ」
「え? あ」
 自分を捨てたと今まで思っていた親がそんなに近くに住んでいることに多少驚きを覚えたのだが、その後に続いた内容で全てがぶっ飛んだ。
 全員血が繋がっているとか掟の内容だとかがあまりにも飛んでいる。最初の場所(それ)がとても小さなことのように思えてしまう。
「続けよう。その『掟』を守らなければならない理由は、村人が持っているある能力によって村を守るためらしいのだが、詳しくは分からない。村長に会った時に直接聞こうと思っている。実際の能力については……そうだな。見てもらった方が早いか。ちょっとこちらに来てくれ」
 島は立ち上がり俺を促した。
「ちょ、ちょっと待て、いきなり色々言われたから思考が追いついてない。少し情報を整理する時間をくれ」
「そうか。君はあの村で過ごしたわけではなかったな。何も知らない人間が聞いたら確かに驚く。すまなかった」
「ああいや別にいい」
 間を置きたいのにはもう一つ理由があった。
 島の『色』のせいだ。
 村のことを喋るごとに、彼の黒いモヤがどんどん濃くなり、泥のような液体の中でドロドロと波打つ。その中に鈍く入る赤い痰。それはぼんやりと現れ、うごめきながら黒泥を赤黒く染め上げていく。
 それを見ていたら気分が悪くなった。
 見たことがない色ではなかった。殺人犯や凶悪犯はわりと同じような色をしている。ただ、このような人も少ない場所でなければその色を持つ人とすれ違う事もない。映像で見る人の色は現実味がなかった。
 今目の前で初めてこの色を見せられる。その圧迫感と嫌悪感に自分は耐えることが出来なかった。
 湯飲みを手に取り、お茶をすする。
 とりあえず、落ち着こう。村の情報については受け入れることだけを考えよう。
 島から目を反らすように辺りを見回してから、そういえば横に気を紛らわす絶好の少女(りゆう)がいることに気づいた。
「……ところで、そこでずっと煎餅をかじっている奴の紹介をしてもらってもいいか?」
 お茶をすすって落ち着いた時に、そういえば先程から隣で金髪碧眼の少女がリスのようにカリカリと煎餅をかじり続けていることに気づいた。
 かじっている姿は可愛い、無表情でなければ。それに何となく敵意を感じる。たまに向ける視線は早く出て行けと言っているような気さえした。
 マリアは紫色のモヤが見える。ミステリーな雰囲気はあるが、そう思うのは俺だけかもしれない。島にはどう見えているのだろうか?
「ああ、挨拶だけだったな。彼女の名前はマリア。歳は十八歳ぐらいだな、最近身寄りが亡くなったらしいので俺が面倒を見ている」
「日本語もあんたが教えたのか?」
「彼女は日本人だ」
「……」
 ……うそだ、こんな日本人は見たことがない。どう見ても欧州の、しかも貴族階級の出身だろ。わざわざ人形のように着せ替える理由でもあるのか?

 隣にある洋間に入る。部屋の広さは六畳ぐらいなのだが、人が住んでいる家のはずなのに、ここだけ住人が夜逃げでもしたかの様にがらんとしている。東陽先生の部屋も物は少ないが、こちらは物が何も無い。人が住むという機能はおろか、物置にさえなっていなかった。
「さて、君は自分が使える能力を知っているか?」
「いや、知らない」
 自分の手の内はまだ明かさないでおこう。何に利用されるかわからないし。
「そうか。詳細については君の両親に聞けばわかるだろう。能力は遺伝するものだからな」
 遺伝するのか。ということはこの能力は親から受け継いだものなのか、今まで親と呼ばれる存在を確認できたのはこの名前だけだったから、他にもあったのかと思うとなんとなく胸の奥が暖かくなった気がした。
「私の場合は……」
 そう言いながら島は左腕の服をまくった。手首には白い腕輪がしてあった。
 そして右手で小さめのナイフを取り出して左手に刃を当て、それを何の躊躇も無く引いた。
「お、おい」
 傷口から血が溢れ、勢いよく流れ落ちていく。リストカットでは人は死ににくいというが、これは放っておいたら絶対失血死する。白い腕輪も、血で赤黒くなってしまった。
 何をしているんだと思い、ただ血に濡れた腕を見ていたら、ある事に気づいた。
「あ……あれ?」
 勢いよく流れていた血が、止まった。
「これが私の能力だ」
 島が血に濡れた腕を拭うと、先ほど切られたという事実を無視するかのように、傷一つ無い肌が現れた。
「この通り体の傷は塞がってしまう。まあ元の姿に修正されるような感じか」
「不死身って事か」
「ああ、どうやら寿命以外では死なせてくれないらしい、幸か不幸かはわからんがな」
「普通は幸せだろ。死なない事が保証されてるんだから」
「……そうだな、では戻ろう」
 島は血に濡れた腕をタオルで拭き、洋間から居間へと歩を進める。血は先程のタオルで受け止めていたために床には落ちていないが、最初白かったタオルは、元からそうであったと思えるぐらい血で赤く染め上げられていた。

 居間に戻りまた元の位置に座ると、お茶が継ぎ足しされていた。マリアが入れてくれたのだろう。姿勢はここを出る時と変わっていなかったが、煎餅をかじるのはやめたようだ。
「私が知っていることは全て話したが、何かあるか」
「これからどうするつもりだ」
「そうだな、準備も整ったことだし明日には村に行こうと思っている」
「えっ」
「君はなにか用事があるか?」
「いや……無いけど」
 この男は昨日の件といい、言うことが急だな本当に。
「ではそうだな。明日夜七時に村がある駅、一色駅で待っていてくれ。そこで落ち合おう」
「……わかった。じゃあ、俺はこのへんで」
「ああ、今日はご苦労だった。明日はよろしく頼む」
 長居する理由はないのでさっさと島の家から出る。予想以上に内容が濃かったので外に出られた開放感と、疲れがどっと出た。やはり敵地にはあまり居たくないな。
 電車に乗り、すっかり日が暮れた景色を見る。田んぼと畑ばかりのため、視界に入る光はすべてが星だった。『死んだ人は星になって輝いている』ということを昔本か何かで見た気がする。それを信じていたとき、もしかしたらあの中に生みの親が居るのかなと思っていた。
 年齢を重ねて、星が何であるかわかるようになったし、どうやら両親は星になっているわけではないらしい。
 
 施設に帰るとテーブルには夕食が並べられていた。夕食といっても昨日のような皿にのった暖かみのある料理ではなく、ご飯以外は焼き鳥とか総菜ばかりだった。
「先生は遅くなるのか?」
「うん、置き手紙があった」
 志恩が見せたメモ用紙には、きれいな文字で『今日は遅くなるので各々で過ごしてください』と書かれていた。
「先生って大変だな」
「今は昔と違って、資料作りとかいろいろあるらしいわよ」
「ふーん」
 先生は定期的にこうやって遅くなるときがある。そしてその日は帰ってくるのが決まって日付が次の日に変わってからだった。
「しかしなぁ」
「なによ?」
「おまえちょっとは料理しろよ。さすがにその年で総菜オンリーって」
 志恩は料理ができないという特技がある。作られる料理はすべて、綺麗に言えば破滅的にセンスがいい。
「な、なによ。あんただって作らないじゃない!」
「俺は別に必要ないから。焼き鳥うめー」
「私も必要ないわ」
「おまえ女だろ」
「時代は変わったのよ」
「料理ができないのは時代が変わっても変わらん」
「うるっさいっ!」
「あぁああ!」
 コロッケに醤油をぶちまけられた。俺ソース派なのに。

 しょっぱくなった夕食が終わり、部屋で漫画を読みながらくつろいでいると、洗い物を終えたと思われる志恩が「話がある」と部屋に入ってきた。
「ねえ、明塗」
「なに?」
「行ってきたんでしょ? あいつのところ」
「ああ」
「両親に会いに行くの?」
「明日な」
「そうなんだ……」
 そのまま志恩は黙ってしまった。なんだかんだで長いつきあいなので、なんとなく何を考えているかわかってしまった。
「別にここは離れないよ」
「え?」
「俺が誰から生まれようと、俺の親は先生で、俺の家はここだ。そして孤児みんなが家族だから」
「……」
 そう、その思いだけは変わらない。ここで過ごした、積み上げてきた時間は間違いなく自分を作ったもので、死ぬまで背負っていきたい思い出(おもさ)だから。
「どうよ? これで満足?」
「べ、別に私はそんなこと思ってないわよ! ただ、明日の予定を聞きたかっただけよ。そうしないと明日の朝ご飯どうしたらいいか困るじゃない」
「結局レトルトのくせに」
「なんか言った?」
「いやいやなんにも。明日はいつも通りでいいよ」
「そう、わかった。……それじゃね」
 それだけ言ってそそくさと部屋を出て行ってしまった。まあ、声のテンションが多少上がってたようだから、言ったことは間違ってなかったみたいだな。

 先生にも明日行くことを報告しようと思った。だが、先生はいつも帰ってくる時間でも帰宅せず、それどころか俺が出発するまで帰ってこなかった。

 ◇I-3

 朝はレトルトの牛丼、昼は宅配カレー、夜はカップラーメンを食べて施設を出る。先生が居ないことについて話題が出たが、先生は携帯を持っていないためこちらからの連絡手段は無く、結局今日一日様子を見てみるということで落ち着いた。
 一時間に一本の電車に乗りこむと電車の中は土曜日らしく学生やサラリーマンの姿も少数で、ゆったりとした空気が車内を包んでいる。
 ……実は昨日はあまり眠れなかった。自分ではあまり気にしていないつもりだったのだがやはり緊張しているのだと思う。昨日島の話を聞いてから、時間が空いたときに考えてしまう。
 自分を産んだ両親は今の自分を見てどう思うのだろうか? 最初に何をしゃべったらいいのだろうか? なぜ自分を施設に預けたのか?
 結局二人に会って話さなければわからないことをわかっているはずなのに延々と考えている。
「ああなんか考えるのも飽きてきた」
 今までこんなに一つのことを考えたことはなかった。きっと頭がオーバーヒートしているだろう。
 外の景色は昨日の夜と同じ、月明かりと星の光で空が覆われていた。いつもと変わらない風景を見ていると少し気持ちが落ち着いた気がした。

 ◇

 一色駅は、無人駅らしく切符入れと簡素な待合室があるだけの小さな駅だ。駅の近くには手入れがされているのかわからないトイレと、かろうじて自動販売機が一台あるだけである。近くに商店街と呼ばれるものさえ無く、すぐ近くは田畑が広がっていた。
 ここで降りる人はこの地区にほとんど無い住居に住んでいる人や、用事もできそうにないこの場所に用事があるめずらしい人ぐらいだろう。実際、自分以外誰も駅に降りなかった。
「あれ? 時間合ってるよな?」
 待合室のイスに座って待っていたが誰も来る気配がない。携帯の時計はあと五分で約束の時間を表示する。
 視線を携帯から自動券売機に向けると、車が砂利(じゃり)道を走る音が聞こえた。その音は駅の前で止まり、人が車から出てきた。
「しっかり時間通りにきたようだな」
「……」
 いや……乗せろよ。最初から。ただでさえ金が少ない学生という身分なのに、貴重な二三〇円を無駄にしてしまったじゃないか。
「用事があったのでね、他の場所に行っていた。帰りは送ってあげよう」
 やった。未来の二三〇円が浮いたぞ。
「さあ、車に乗ってくれ。村まで行こう」
「村まで遠いのか?」
「村の入り口まで車で二十分ぐらいだ。道路も舗装されてないからな、速度は遅いが歩くよりは速いだろう」
「わかった」
 車を覗くと助手席には荷物があり、後部席には1/1スケールのフランス人形……いや、マリアが座っていた。
 
 車は村へ向かう。車内はエンジンの音とあぜ道を走り車の振動音だけが聞こえていた。
「なぁ、なんでこいつが居るんだ?」
「必要だからだ」
「なにに?」
「それはそのうちわかる」
「?」
 金髪少女は車に合わせてその身を揺らしたりはねたりしていた。しかしそれでも姿勢は変えず、運転席のシートにどれほど魅力があるのかはわからないが、ただ静かに前だけを見ていた。
 ……実は携帯の液晶などにつける特殊シートのように、こちらからの角度では座席シートに見えても、彼女から見るとテレビでも見えているのだろうか? 擬態化するシートは聞いたことないが。
「マリアが気になるか?」
「えっ? いや……」
 なんだかんだでずっと見ていたので気づかれてしまったようだ。……まあ、正直言ってずっと見ていたい。何もしないところとかが本当に人形みたいでかわいい。
 どちらの趣味かはわからないが、ゴスロリ風のドレスは何かを狙っているとしか思えない。しかもそれが抜群に似合うのだから対処のしようがない。
「この子も期間の違いはあれ君と同じ状況だからな、若年で家族が誰もそばに居ないなんて少数派の方なのだが偶然もあるものだな。いや、類は友を呼ぶというところか」
 まあ確かに珍しい組み合わせではあるな。

 窓から外の景色を見ていたら月明かりでむしろ夕方より明るいはずの視界が急に暗くなった。驚いて前方を見ると木が生い茂っていた。どうやら大きな林らしい。車は林を少し入ったところで止まった。
「ここから先は岩が多いため車では進めない、徒歩で移動するから降りてくれ」
 島とマリアが車を出るのにつられるようにして自分も外に出ると、あたりは視界すべてに入る一面の緑があり、前方は地面から生えるように突き出ている無骨な岩が所々見える道だった。
 車が入れないほど狭い道ではないので、通れないのはこの岩のせいだろう。
 本当にこの先に村があるのだろうか? こんな林に囲まれているような所に住んでいては、『外』という概念があるのかどうかさえわからない。たしかにここは林という鉄格子に囲まれた檻だ。
「村、とはいうが、すでに村としては認知されていない。地図上でもただの林だ。航空写真でも林に隠れて村は写らない。この土地はある地主の私有地になっているが、おそらく村長の息が掛かったモノだろう。その存在を隠すことで、能力(力)を外に触れられることを防いでいた」
 それも含めて異常。そう島は話した。
 林は音も無く、いるはずの虫や動物の気配もせずこの林全体が寝静まっていた。林の隙間から見える上空ではかろうじて月や星の光が瞬いて明るく、地上にいるのにまるでここは出口がかろうじて見える地下の中の様だった。
 この暗闇で唯一月の代わりに光を放つ携帯電話も、ここでは圏外のようだ。電波がまだ届いてないのか、届かせないような何かがあるのか?
 いずれにしても、こんな場所には長くいたくないと、自分の体が脳に絶えずそう伝達していた。
 しばらく歩くと水の音が聞こえてきた。前方を見ると五、六メートルの長さの小さな橋があった。その橋に近づこうとして、島がそれまでためらいなく進めていた足を止めた。
「ここを通してもらおうか」
「?」
 いきなり立ち止まって何を言うのかと思ったが、横の草むらから人影が出てきたのでそれに対して放った言葉であることが理解できた。
「ここは通さない。通るならば命をもらう」
「!?」
 聞こえた声に驚いた。
 普通は声を聞いただけでは驚かない。逆に言えば今回は普通じゃなかった。
 ほぼ二十年間、毎日顔を合わせ、声を聞いていた人を今更間違えるはずがない。反復練習による記憶術に勝るものはないように。
 ただ、なぜここにいるのかはとっさに理解できなかった。
 いや、今でも理解はできていないが。
 いつでも温和にしている表情を布で隠し、孤児達を嗜(たしな)める時でさえ出したことのない、低く、それでいて発した言葉で対象者を威圧するその人は、俺の知らない、しかし間違いなく東陽先生だった。

「え? と、とうよ」
「村から出しはするが入れはしないと言うことか」
「それがこの村との契約だ」
「なるほど、まあこうなることは予測済みだ。……マリア、頼んだ」
「はい」
 マリアが島の一歩先に出た。その瞬間に自分の視界から居なくなった。そして金属同士がこすれ合う鈍い音が橋の方から聞こえた。マリアと東陽先生はお互いに似ている何か刃物のようなものでつばぜりあっていた。
「え? え? え? ちょっ……」
「私達は行こう」
「で、でもあれ」
「親に会いたいのだろう? 橋を越えなければそれは叶わない。それに、マリアとあの男はどうやら『同業者』のようだ。私達の手に負える相手ではない」
 島に促されて橋を渡る。金属同士がぶつかり合う音が聞こえるたび、後ろを振り向いた。
「な、なんで……」
 どうして?
 頭の中では解決できるはずのない疑問の言葉ばかり繰り返される。
「いい加減にしろ。急がないと意味がない」
「……」
 仲良くもない男に言われた普通なら反発するその言葉も、動揺して子供のようにあたふたする俺は、従うことしかできなかった。
 金属音は村に向かう自分の耳でしばらく鳴り響き、それに併せて東陽先生の顔が頭の中に点滅した。

 ◆

 躍動する体、繰り返し鳴る剣戟(けんげき)。四肢すべてを連動させて少女から踊るように繰り出される得物(ナイフ)はすべてが確実に急所を狙う。自分の獲物をはじかれた男はそのすべてを鉄板入りの手の甲で受け流していた。
 見た目だけで言えば男が剛で少女が柔であるのに手合いではまったくの逆だった。
 少女は一言も発することはなく、しかしすべての動きはひたすら殺す≠ニいう一言を繰り返し発している。
 
 何合も衝突を繰り返す中少女は思い出した。もっと小さな頃は毎日こうやって鍛錬していた。欲しいものはすべてがそろっていて、何も不安に思わず、何も怖がることはなかった。ただひたすら自分の体を磨くことができた。
 そして、そこには大好きな両親と、大好きな姉妹の姿が必ずあった。

 ◆◆◆w-1
 
 パパとママはとても私を愛してくれた
 私も二人が大好きだった。
 数年後妹ができた。
 パパとママは妹を愛した。
 三人だった世界が四人になった。
 二人は妹に掛ける時間が増えた。
 私に構ってくれる時間が減った。
 妹が羨ましかった。
 でも、憎いとは思わなかった。
 それは私も妹が好きだったからだ。
 私は今まで以上にもっと愛される様いい子でいようとした。
 だけどどんどん二人は私を構ってくれなくなった。
「あなたはホントいい子ね」と何かをするとほめられるけど、向こうから私に何かをしてくれることは本当に少なくなった。
 妹はとても甘え上手で、家族全員に事あるごとに何かを求めた。
 二人も事あるごとに「あの子には何でも教えてあげたい」と妹を構った。 
 私は妹が羨ましかった。
 そして、歳をおうごとに不安になった。
 二人はこの先どんどん私に構わなくなり、いつか愛想をつかしてしまうのではないかと。
 私はパパとママが大好きだ。
 だから、パパとママは私のことを大好きなままで居て欲しい。
 そう思っていた。
 ……ではどうだろう?
 今、殺してしまえば二人は私を愛したまま死んでくれる。
 二人が私を愛したと言う事実はずっと残る。
 ……良いことを思いついた。
 じゃあそうしよう。
 そして私は二人を崖から落とした。
 私が殺したから、他の人は私が二人を嫌っていたと思うだろうけど、それは違う。
 私はパパとママが大好きだ。
 だから私の大好きな、私が大好きなままでいて欲しかったのだ。

 終わってから一つ思った。
 妹は私を愛してくれたのだろうか?
 私をこれからも愛してくれるのだろうか?
 妹に聞いてみよう。
 大丈夫、自信はある。私は妹が大好きなのだから妹もきっと私を愛してくれる……。

 ◆◆◆

 家族をすべて亡くした後でも、少女は悲しみを表情に出さず、涙を流さない。それは彼女が持っている業のせいだった。その業は剣戟を繰り返す瞬間にも失われない。

 状況に変化がおとずれたのは、いなすだけではいずれ力尽きると判断した男が大きく跳躍し、上空で木の幹を蹴ることで、通常の落下速度よりはるかに速いスピードをつけて少女に墜落(とんで)いったときだった。
 男はもう無いと思わせていたナイフを懐からもう一本取り出し、必勝の構えで少女に向かって突撃する。
 対する少女も、むざむざやられるわけにはいかない。なにより、『その動きは知っている』
 人間が自力で出せるスピードを遙かに超えた弾丸(ナイフ)とそれを防ぐ盾(ナイフ)が激突した。

 ◆

「マリアは現代では考えられないが『忍びの里』の出身だ」
「『忍び』って……忍者?」
 わかりきっている回答をする。まだ、動揺が落ち着いていない。
 二人がどうなったのか気になってしょうがない。
 東陽先生は無事なんだろうか? マリアが勝てるようにも見えない。あの少女が血にまみれるところを想像するのは簡単にできた。 
「そうだ。こちらが確認できないだけで、確かに存在している。元々彼らはそういう存在だからな。そして彼女の技量はその里でナンバーワンだった」
「……へえ、凄い奴だったんだな……」
 普通ならあり得ない話に驚くところだが、もう驚かない。こうも立て続けに色々なことを聞かされると、何があっても不思議じゃないと思う。……というか、毎回驚いてばかりは疲れてきた。
 しかし、未だに信じられないのは東陽先生だ。なんなのだろう。なぜあんな所にいるのだろう。先ほど島が「同業者」と言っていたが、先生もいわゆる忍びなのだろうか?
 確かに、そういうことなら、あの体つきも昔に見たナイフも理由がつくような気もするが……。
 あの優しい東陽先生が発した「殺す」という単語が頭から離れない。
 あの言葉はもちろん自分にも向けられた。そのときの目を思い出すだけで体が切り刻まれた気分になる。
 俺は無言になり、島もそれきり話しかけてはこなかった。

 十分ほど歩くと、家が数件見えた。かなり古そうな家で、自分はよく知らないが、ここだけ昔から時が止まっているような感じがする風景だった。
「村長の家はここからさらに奥だ。まずは私の家に行こう」 
 左右に立ち並ぶ家々の中、中央の道を歩く。
 開けていると思われた村の中もやはり林のせいで暗い。
 手入れはされているが、古い、というより、多少朽ちている家々が並んでいる。
 柱の年輪は、趣を感じさせるよりは、得体の知れない不気味さと不安を駆り立てた。
 外にいるのに言いようのない圧迫感は、自分の体と感覚を際限なく締め付ける。
「……」
 誰もいない。時間帯のせいもあるだろうが、明かりがついていない家も多い。もしかして自分達が来ることをあらかじめ知られているのだろうか?
 そう思ってしまうと、自分から見えているすべての家から村人が視線をこちらに向けているような気がして、とたんに寒気が走った。この村で生まれたとはいえ、部外者となった自分は、もしかして恨まれているのだろうか?
 一緒にこの村で過ごしてこなかった。親が居ないとはいえ、『死』などということとは無縁の、安穏とした中で育ってきた自分。それはこの村にとって紛れもない異物だ。
 異物は排除する。
 そう、この村から言われているような気さえした。
 ……ただ、この中には自分の両親もいる。
 辺りを見回して、特にそう意識はしていないつもりだったが、この家のどこかに自分の生みの親がいると思うと、不安感とは別に少し心拍数が上がった気がした。
「あ」
 数軒先にある家の玄関に少女が立っていた。少女はこちらに気づくとゆっくりと歩いてきた。ちょっと怖い。
 端正の整ったどちらかというと美人の部類に入る顔も、肩まである艶のある黒髪も、髪に合わせたのかのように慎ましい茶色い髪留めも、着古した藍色の着物も、この村の暗さに溶け込んでいて非常に合っている。さらに怖かった。
 少女は近くに来て止まると、自分だけを見つめている。吸い込まれるような黒い瞳は否応なしに不気味さを演出している。頼むから何か言ってくれよ……。この少女もマリアと同じなのか?
「あ、あの」
「あんたはだれ?」
「え? ……ああいやべつに」
「なにしにきたの?」
「ちょ、ちょっと親を探しに」
「親? あんたここの人?」
「……ああ。どうやらそうみたいだ。つい最近まで知らなかったけどな」
「で、どっちの親を探しに来たの?」
「どっちの親? どういうこと?」
 生まれの親と育ての親のことだろうか? でもそれをこの少女が知っているはずがない。
「ふーん。あんたまだ十代なの?」
「いや、二十歳だよ」
「二十歳なのになんともないの?」
「え? それはどういうこと?」
「もしかして、あんたなにも知らないの? ちょっとあんた、この子に教えてあげないの?」
 少女は島に視線をうつし、そう言った。
「必要はない」
「そう……それはかわいそうね」
 意味がわからないうちにかわいそうな人にされてしまった。それよりこの少女は誰なのだろう?
「あの? 君は……」
「あたし? あたしはハイネ。灰色の灰に音色の音でハイネ。あなたは?」
「いや、そういうことじゃないんだけど……。まあいいか。俺はアキト。明るいに塗装の塗でアキト」
「アキトね、覚えた。アキトはこの村の出身なんでしょ? 両親はどんな能力なの?」
「いや、わからない。あとで聞きに行こうと思ってる」
「アキト。名字は?」
「相馬だよ」
「あ、相馬ね。じゃあお母さんは『未来視』で、お父さんは何だっけ」
「人の『色』が見えるんじゃないの? ……あ」
 しまった。やんわり隠してたのに喋ってしまった。
「いや、そうじゃなかった気がするけど……」
「え……」
 しかも違うのか。唯一だと感じていた繋がりが、思ってもないところで簡単に無くなってしまった。
 ……まあでも、このあと実際本人達と会えるのなら、実感できる繋がりが待っているのならそれほどショックでもない。この力はこれで便利だし、何より自分という個性の主張にもなる。
 隣にいる島は何も言わずにこちらのやりとりを見ていた。人の色が見えることを隠していたのがばれてしまい、なんとなく居心地が悪くなった。
 島は俺に何も言わない、これは自分個人の能力だからどちらにしても関係ないということだろうか。
 気を取り直し、改めて灰音という少女をよく見てみる。
 少女の周りには、灰色のモヤが包んでいた。
 会話するとさっぱりとした印象の彼女だが……なぜか灰色は今の彼女に一番似合っているような気がした。何かあったのかもしれない。
「っと……いろいろ聞いちゃってゴメン。用事なんでしょ? じゃあねアキト、知らない人と話せてちょっと楽しかった、ありがと」
「いや……」
 別れを惜しむようには聞こえない口調で、彼女は表札に真木村(まきむら)と書かれている家の中に入っていった。ここが彼女の実家なのだろうか。
 彼女がこの村で見た最初の人間だった。話を聞いていた限りでは、もっと恐ろしいことを想像していたのだが、彼女、灰音と話した感じではそうでもないらしい。普通の村人だった。
 掟通りだとすれば彼女も人を殺しているのだろうか? とても信じられないが、彼女と会ってからそのことを考えると、この村が異常なんだということが再認識できた気がした。
 
 灰音が入っていった家からさらに数軒先、島と書かれた表札があった。この村にある家の形は皆ほぼ同じだが、島の家の周りには雑草が生い茂っていて、人の手が入ってないのは明白だった。
「両親はどちらも死んでしまってもういない。散らかっているがくつろいでいてくれ」
 と言われて案内されたが……くつろぎづらい。これはくつろぎづらい。
 例えるならば、空き巣に入った泥棒が既に先をこされたとあきらめて帰るぐらいの部屋だ。単純に言うと、散らかっている。辺り一面散らかっている。昨日行ってきた島の現住居とはかなりの違いようだった。
 こんな地震でも起こったような部屋に住んでいたのだろうか? それともこんな泥棒も逃げ出しそうな村に本当に空き巣が押し入ったのだろうか?
「久しぶりだなここは。君はなにか感じたか?」
「いや、特には」
 何しろ一歳でこの村を出ているのだ。わかるわけがない。
 島は何をするでもなく、自分の前で立ち尽くしていた。
「だが君の生まれた村に間違いはない。君が一年過ごした家もある」
「ここに住んでいたとは思えないな。この先も住みたいとは思わない。なんか暗くて」
「たしかにそうかもしれないな。それを変えるためにここへ戻ってきた。誰も悲しむ必要はない、すべてがそろっている当たり前の生活をしてもらえればいい。幸い君はそれがまだ間に合う」
「……」
 すべてがそろっている生活。当たり前にいる両親。当たり前につながる日常。叶うとしたらそれはどんなものだろう? 小さいころ、授業参観や運動会で両親兄弟と仲良く話す同級生を見ながら想像したことを思い出した。
「会いたいか?」
「え?」
「約束でもあるからな。会わせてやろう、両親に」
「……ああ」
 そのために、ここに来たのだから……。

 わずか数分しか居なかった――いや、長居はしたくない場所だったが。家から出て、また島の後ろを歩く。
 統一された家の形と、統一された家の並び。均整が取れている風景は自分が住んでいる施設の周りと同じようなものなのに、どうしようもなく不安感が募る。
 島の家から数件戻り、ちょうど灰音の家から道を挟み向かいにある家の前で島は歩みを止めた。
「ここが君の家だ」
 そう説明された家の表札には『相馬』と書かれていた。
「ここが……」
「私は先に村長の所に行っている。君も終わったらこちらに来い。村長の家はこの道の一番奥にある。家はほかより大きいからわかるだろう」
 そういい残すと島は村のさらに奥へと歩いていった。

「なんだかなぁ」
 玄関の前で一人つぶやく。
 ここまで来たらもう入るしかないのだが、ちょっと時間がほしい。
 ……なんて言おうか。

 ガラガラ

「こ、こんにちは」
 家の中は先ほど入った島の家と同じ内装だった。玄関には小さな靴箱と大人用の靴が二足おいてあった。
「はい」
 女性の細い声が聞こえ、廊下を出てこちらへやってくる。廊下は明かりもついてなく、薄暗いため姿はよく見えない。時々聞こえるキシッという床板の軋み音が近づいてきた。
「えっ……」
 自分の顔を見るとそう言って女性は固まった。
 女性らしい艶っぽさと母性が同居した顔は優しそうで、肩ほどまでに伸びている髪を後ろでひとつにまとめていた。雰囲気は確かに母親のそれだった。しかし、体の線は細く折れてしまいそうだった。この体で子供が生めるのだろうか?
「誰だ? 未来(みく)」
 様子を見に来たのか、父親と思われる男性も玄関に出てきた。
「……明塗!?」
 男性は自分の名前を呼ぶと、女性と同じように固まってしまった。
 男性は風貌も体型も特に目立つところはないが、確かに感じる力強さがあった。それは精神の強さかもしれない。それに、目は鏡で見た自分とよく似ていて、父親を感じさせるものだった。
 ……しかし、そう固まられるとこちらもどう切り出したものか困る。自然と二人を交互に見つめてしまう。
 まじまじと見ていて、一つ驚いたことがある。女性の方の『色』は青かった。多分自分を見て驚いたのだろうが、それでも自分を抑えようとする仕草の通り、冷静な人なのだろう。
 問題は父親の方だ。
 色が『無い』。
 今まで確かに色が薄い人は居た。そういう人はどこか空虚で、存在が希薄だった。ただ、『透明』な人は居なかった。今まで色が見えなかったのは自分だけだった。
 自分は見る側なのでそうなんだろうと思うが、この男は血を分けたとはいえ他人だ。現に女性の方の色は見えている。もしかして、色を見せないように、自分をわからせないようにする能力でも持っているのだろうか?
 とりあえず、このままでは埒(らち)があかないので確認を取ろう。
「あの、あなた達は相馬明塗の両親ですか?」
「!?」
 自分が口に出した瞬間、女性はびくっとした。
 その場にいる全員が石のように固まっていた。風が林をなでる音が聞こえる。
 しばらくすると女性は目をつぶった。男性の方は女性の方を見たまま何も言わない。さすがに話が進まなそうなので自分から切り出してみる。
「あの」
「私達に子供はいません」
「えっ?」
「ここから出て行きなさい。あなたのことは知りません」
「おい、未来」
「早く出て行きなさい。二度とこの村に入らないで」
「…………わかりました。すみませんでした。お邪魔しました」
 それだけ言って玄関から出た。

 ……怒りはなかった。虚無感だけが残った。所詮こんなものだとは思っていた。多少でも期待していた自分が恥ずかしい。当たり前のように突き放され、閉め出された。
「なにが会いたいと思っている≠セ。うそつくんじゃねぇよ」
 一人で悪態をついても仕方がなかった。ここに来た自分の目的は無くなってしまったが、島から村長の家に来いということを思い出したので村の奥へ向かうことにした。
 言われなくても、もうここに来ることはないだろう。
 ……自分には関係の無いところなのだから。

 ◆

「……写真で見るより大きくはなったな」
「……そうね」
「あそこまで言うことはなかったんじゃないのか?」
「この村も私達も忘れてくれたほうがいい。そのほうが幸せになる。あの子を追い出したのは私達だから……もし私達を恨んだとしてもそれは当然のこと」
「後悔はしてない?」
「……あの子の顔がこの目で見られたから。もうそれだけで十分」
 未来は自己の所有物である黄色い石を見つめながら、村から明塗を施設に預けたときの事を思い出した。

 ◆◆◆W-2

 子どもが寝静まった頃、二人は居間で話し始めた。
「ねえ義塗(よしと)……私夢を見たの」
 母親は思いつめた様に言った。
「どんな夢?」
 義塗は未来の不安げな顔を見ると少しでも気持ちを和らげようと、柔らかく微笑みながら質問をした。
「……あの子が殺される夢」
「未来……」
 未来は自身が与えられた名のごとく少し先の未来が見える。しかしそれは夢で見るものではなく自分で意識して見るものであり、今回のことは未来予知とは言えない。
 夢の中で怪物が現れようがゾンビに追いかけられようが、自己の中だけの問題なので気にすることなどないが、今回は対象と内容が悪かった。
「あの子はこの村で殺される」
「……」
「両親(わたしたち)のどちらかではなく、子供(あの子)が殺される。私が死ぬ覚悟は出来ているのに……」
 村の掟では子どもが成人すると誰かが死ぬ。その殆どは両親であった。血がつながってはいるが、近所(たにん)は殺せない。
 子供は一人しか作れない。血の濃さを高めるために。
 その一人だけの子どもが死んでしまう。
 自分が見たのは未来ではない。それは確実なはず。
 しかし、直接血が繋がっている自分の子供。もしかしたら例外が起こるかもしれない。子どもが生まれてやっと一年経ち、その成長を実感してきた母親をどうしようもなく不安にさせるには十分な内容だった。
「だが君の夢に力はないのだろう?」
「うん……でも……あの子は私の子供だから」
「……そうか。もしかしたらそうなのかもしれないな」
「私、そんなのイヤ……違う、怖くなったの」
 隣の部屋で寝ている自分の子どもが居なくなってしまうこと。……そして、その原因を許すことができなくなるという確信。
 自分も親を殺してきた。それが当然のことと教えられてきたし、他の村人と同じように殺した後も後悔は起こらなかった。だが、子供のことで初めて誰かに憎しみを持ってしまうかもしれない、それがたまらなく怖かった。
 義塗は未来に近づき、そっと抱きしめた。
「俺もそれは怖い」
 義塗もそうなった時の自分の感情を考えると、それを抑える自信はなかった。
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
 未来は助けを呼ぶように問いかける。
「……そうだなぁ」
 未来から体を放した義塗は目をつぶり、そのまま考え始めた。
 子供の寝息が聞こえるぐらい静かに時間が過ぎて行く。未来はこの一年を思い返していた。慎ましくも幸せな日々、今この瞬間が永久に続けば良いという願い。
 やがて義塗は決意したように目を開けて答えた。
「……外に出すしか無いな」
「外って……村から出すってこと?」
「ああ、ここに居させたくないならそうするしかない」
 村から出る。そんなことが出来るとは思わなかった。いや、今までは考える必要さえなかった。生活に不自由なく、全てがその場所一つで完結している村。
「私達は?」
「俺達はここに残る。出るのはあの子だけだ」
 子供一人なら神隠しにでもあったといえるが、家族全てが居なくなると村長が連れ戻しに探し回る可能性がある。それから隠れて怯えながら過ごすよりは、自分達が居ることで隠れ蓑になって自由に生きさせてあげたい。
「でも……今じゃなきゃダメなの?」
「彼が自我を持ち始めてから外に出たら、この村に戻ってきてしまうかもしれない。ここの生活に慣れさせるよりは、はじめから外に住んで生活に順応した方があの子の将来のためにもなる」
「……そっか、そうよね」
「……もう会えないかもしれない。それでもいいかい?」
「……」
 何もしなければこれから二十年近くは一緒に生きられる。その限られた期間はとても楽しいだろう。……でも、それを望むのはきっと親のわがままだ。
 あの子にはその三倍以上の時間を幸せに生きることができるかもしれないのだから……。
「……うん」
 未来はそう答え、
「未来。一緒に幸せを祈って生きよう」
 義塗はまたきゅっと未来を抱きしめた。
 
 両親は孤児院を何とか見つけ、子供をそこに預けた。
 願わくばどうか幸せになって欲しいと祈りながら。
「バイバイ明塗。幸せに生きてね」
 季節は春になり、施設にある桜の木は静かに佇み、花びらはふわふわと宙に舞っていた。
 両親はそれを見ながら村に戻る。
 一緒に生きるはずだったこの先二十年と、それを忘れるための何十年間を思い描きながら……。

 ◆◆◆

 ◆

「ここに来るのも久しぶりか」
 島は村長の家に着くと、家の外観を見ながらそう言った。
 他の村人の家より少し大きな村長の家は、つくりは他の家と同じだった。周りにある家をふた周りほど大きくしただけの家。二階建てということが他の家と決定的に違っていた。だが、それだけでまるでここが城の天守の様だった。
 島は家のノックも呼びかけもせず中に入った。
 中は前に来たときと変わらなかった。男用のサンダルと革靴だけがおいてある玄関。玄関からすぐ見える二階に上がる階段と左右に続く廊下。島は階段を上り、二階へ向かった。
 一階は電気がついておらず、人の気配もない。二階へ上がる階段の頂上に電球が一つ点いていた。
 二階に上がるとそこは一階と同じように左右に廊下が続いていた。前方の窓からは外が見えるが、目の前はすぐ林のため、眺めはよくない。
 島は左側の廊下を進み、二つ目の部屋の障子を開けた。そこには白髪が混じった初老の男が座っていた。
「……今更なんのようだ?」
「あなたに聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「なぜここでは人を殺すのか」
「ふぅ…………まあ座れ。後ろでそう言われても落ち着いて話せん」
「……」
 島は部屋の中に入り、初老の男の前まで進み腰を下ろした。男はそれを見届けると、横においてある湯飲みを手に取り、中のものを口にした。
「なぜ殺す≠ゥ……その質問をされる日が来るとはな」
「『殺す』だけじゃない。それを『疑問に思わない』事もだ」
「そうか……お前は村の外に出てすべて知ったのか。知らなくてよかったものも。外に出たことで発狂して心が壊れると思っていたが、あてが外れたな」
「俺のことはもうどうでもいい。知っていることをすべて話せ。村長ならそれができるだろう?」
「そう急かすな。この村のことを話せばすべてわかる」
 村長は湯飲みを床に置くと、ゆっくりと話し始めた。
「かなり昔からこの村では不思議な力を持つ村人が出るようになっていた。傷を治すことができたり、何もないところから火をおこすことができたり。能力は『先に死んだ』親から子へ遺伝することもわかった。能力自体には害が無いし、使い方次第では便利なだけだった」
 村長は右側にゆっくり視線を向けた。そこにはこの部屋に唯一ある仏壇があった。
「数代前の村長は、村から少し離れた所にある街道まで行って、怪我をしている人やお金がない人を村に呼んで治したり、泊めてやったりした。ある日、宿に困っていた男を泊めたとき、お礼に男はこの村は『異端者』により厄災がかかる。その厄災により村が滅ぶ≠ニこの村の未来を予言した」
『異端者』はこの村の村人とは異なる部分を持つ。
 故に異端
『異端者』はこの村すべてを無にする。
 故に厄災
 村長はそう明言した。
「その予言者は誰だ?」
「後から知った話だが、有名な陰陽師で特に予言に関して秀でていた。先祖は村人の能力をもって厄災に備えることに決めた。……しかし、それには能力の質が低い。そこで先代は自分の能力によって村人の質を高め、村人すべてで厄災に対抗しようとした。その結果があの掟だ」
「二十歳で一人殺す」
「そうだ。そして私の先祖の能力が、先ほどのお前に対する答えだ」
「……そうか。『掟』という言葉で縛り誘導しておいて、その実は能力による強制だったか」
「二十歳になった者が、能力が強い者への『殺人を誘発する能力』と、すべての村人が『殺人を疑問に思わない能力』。その二つをもって能力を昇華した。もっとも、祖父の代までは質が悪く、後者しか使えなかったため前者は裏でやっていたらしいが」
「……」
「他人は殺せない。私の能力があっても殺した家族から恨まれるかもしれない。そうすると家族(じぶんたち)でなんとかするしかない。そうやって能力が強いほうの親を先に殺していけば子孫は強い能力者だけが残る」
「……」
 島は冷静に表情を保っていたが、頭の中は村長を今すぐ切り刻んで殺してやりたくてたまらなくなっていた。確証も持てない『予言』により、自分の生活を一変させた相手が目の前にいる。誰もが持つ大事な人を殺した後悔から来る殺意。
 しかし、島の場合はそうではなかった。
 怒りは、もっと大切だった人が殺されたことによるものだった。

 ◆◆◆W-3

 檻の中でも愛は育まれる。
 檻の外となんら変わらない。
 男は女に恋をした。
 男の人柄に触れるうち、女も男に恋をした。
 水滴が器にたまる時のように愛を溜めていき、数年たって器から水が溢れる頃に男は自然に求婚をした。
「ずっと一緒に居てくれ」
「……はい」

 次の日
 男が女に会いに行くと、女は殺されていた。
 血の海の中で男は呆然と立っていた。
 何時間がたっただろうか?
 そのうち村人がやってきて、速やかに死体になった恋人を片付け始める。
 誰一人その惨状に眉を寄せず、感情のない顔で。
 男はここで初めて「おかしい」と思った。
 疑問に思ってしまった。
 こういう事が起きるのは昔から知っていた。
 だからこれは当然のように起きたことだった。
 でも男はおかしいと思った。
 男は瞳から光を失い、表情も失い呆然としたまま時を過ごしていた。
 しばらくして男はまた一つ疑問をもった。
 この村より外もそうなのだろうか?
 今まで何も思うことはなかったが、外に居る人も同じなのだろうか。
 だから男は村を出た。
 風化しそうになっていた疑問は、村を出た瞬間、親を殺した後悔とともに自分の中に大きく刻み込まれた。
 初めて出た村の外の世界では、恋人がされたことは『殺人』だと知った。
 周りは誰もそんなことをしていない。
 男の疑問は確信に変わった。
 外の世界では警察が殺人者を逮捕し、牢屋に入れる。
 それは納得がいかなかった。
 人を殺した奴を殺して何が悪い。
 俺が殺してやる。
 大好きな人を殺した奴を。
 警察には渡さないし、あの村の他の奴にも殺させない。
 俺が殺してやる。
 そしてこんな馬鹿なことを考えた村長も殺してやる。
 男の瞳に数カ月ぶりの光が宿った。
 祭りのお面の様に変わらなかった顔には、久しぶりに表情ができた。
 しかしその顔は、恋人の愛した微笑ではなく、憎悪に満ちた歪んだ顔だった。

 ◆◆◆

「『厄災』はそろそろ来る。いま少しですべてが終わる」
「つまり、お前があいかを殺したんだな」
 島はコートの内側から銃を取り出し村長にそれを向けた。自分の命を奪おうとする相手に村長は怯えもせず視線を送っていた。
「あいか? ああ、名取の娘か。奴は珍しく他殺されたのだったな。昔なら大事になっていたが、私の代なら能力で問題は出ない……問題は出ないはずなのだが、なぜお前は憎しみを残せたのか?」
「俺の能力は『修正』だ。範囲は体だけじゃない」
「私の能力でも抑えられないほど力を昇華したか」
「村にずっといれば抑えられていただろう」
「その銃をおろしてくれないか? 危ないだろう?」
「これから死ぬお前には関係ない」
「危ないのは私じゃない。お前だ」
 村長が手を上げると、襖(ふすま)を開けて男が入ってきた。
「お前……相馬義塗か」
「……」
「そうだ、息子を黙認する代わりに雇った。こいつの能力は役に立つからな」
 なぜこの男が息子より先にここにいるのか島はわからなかったが、そんなことは些細な問題だった。
 島は義塗が盾になる暇もなく、引き金を引いた。
 だが、鳴るのは爆発音ではなく金属同士がぶつかる音のみだった。
「……!?」
 二度三度引いてみても変わらない。不発? いや、点検はしている。弾丸も詰め込んだ。何一つ不備はない。
「無駄だ、その銃は撃てない」
「なに?」
「それがこの男の能力だ。この男の視界にいる限り、お前はそれを使えない」
 瞬きもすることなく見つめている義塗の目は、淡く金色に光っていた。
「『無力化』か。だが、要は視界に入らなければいい」
「この狭い部屋でそれができるならな」
「……」
 島は懐にナイフを持っているが、二対一では迂闊に動けない。自分に二人を圧倒できる力はない。
 島はこれ以上できることがなかった。
 いや、こうした展開は予想できた。そのため、この『できることがない状況』も無駄ではない。
 もうすぐ、保険がくる。
 それまで、島はこの緊張感を保つことに専念した。

 ◆W-4

 家から出ると、道の真ん中に灰音が立っていた。
「あっ、出てきた」
 先ほどとは違い今度はサクサクとこちらに寄ってきた。
「ねっ。用事終わった? 暇になった? 暇ならちょっと家で話していかない?」
「いや、これから村長の家に……」
「えー、あいつのところー? それってすぐじゃないとダメなの?」
「いやまあ、そこまでではないけ」
「じゃあご案内ご案内〜」
「ちょっ」
 灰音は自分の手首をつかむと強引に引っ張った。
「痛っ!」
「あっ……ごめん。まだ制御がしづらくて」
 解放された手首を見ると、手の跡が残っていた。ちょっと握ろうとしただけでこうなるのはおかしい。少女にも悪意は感じられない。
「ますますごめん。手当てするから家に来て。特別待遇でおもてなしするから」
「……大丈夫だよ。逃げるつもりはないから」
「よーしよし」
 しかし、さっきも思ったが結構よくしゃべるなこいつ。最初見たときの印象はマリアと同じだったけど中身はだいぶ違うようだ。

 真木村家へ歩き(と、言っても道を挟んだ向かい側なのですぐそこ)、玄関を開けて中に入る。中はやはり先ほど見た二軒と同じ内装だった。
「くつろいでて」
 そう言われて居間に通される。……よかった、今度はどうやらくつろげるってえぇ!?
「なぁ……、あれってなに?」
「なにって……血だよ?」
「……」
 いやいやいや、そんな「なにをそんなに驚いてるのコイツ?」みたいな顔されても困るんだけど。
 血ですよ血?
 トマトじゃないよ?
「はい、これおもてなしの飲み物ね」
 ドンッと音を立てて赤いものが入ったコップが置かれる。
「……あー……なるほど。そうきたか」
「グイっとどうぞ」
「水道水でお願いします」
「なんでよ? こんなにドロドロしてておいしそうなのに。もしかしてトマト嫌い?」
「いや、わりと好きだしよく飲むけど」
 家庭農園で育てられたトマトのジュース(生姜入り)を。
「好きなら問題ないじゃない」
「あの血が問題です」
「? ……あー、ごめん。いつも見る風景だから慣れちゃった」
 ……慣れって怖いな。いや、この場合はそういう問題でもないが。
「わかった。水持ってくるからくつろいでて」
「……」
 …………すいません。もうくつろげません。

「ねぇ、どこから来たの?」
「ここから三駅先の白露(はくろ)駅だよ」
「駅? 電車ってこと?」
「そう」
「へー電車かぁ。乗ってみたいなぁ」
「乗ったことないの?」
「ずっとこの村にいるからね。知識は多少あるけど乗ったことないの。そもそも機械なんて見てもらえばわかる通りないわ。よくて農機具ね」
「ふーん」
「私あれ乗ってみたいな。車」
「車?」
「そう、車。いろんな形とか色なのにどれもこれも早いんでしょ?」
「スピードも違うけどな」
 自分もほとんど車は乗ったことはないが、大部分の人はお金があればタクシーでも何でも自由に車には乗れる。
 だが、この村にいる限りはそれが必要ない。徒歩で充分歩き回れるこの村の中なら。
 止まったままの時間。自然と同化し、共に朽ちていく村と人。それは、幸せなことなんだろうか?
 それから灰音は色々と外にあるモノについて質問してきた。テレビもないこの家でずっと過ごしてきたのならば、俺の話は、すべてが新しく、眩しく聞こえるのかもしれない。
 ふいに
「ねぇ。『外』ってどんなところ?」
 と聞かれた。先ほどとは違い、目は下にうつむいていた。
「外?」
「村の外」
「……そうだなぁ。人が居て、その中で生きるっていうことはここと変わりはない。規模は全然大きいけどね」
 自分にとっては退屈だったけど、それなりに楽しい場所。先生が居て、志恩が居て、仲間が居て、それで十分だった世界。
「一つ、違いがあるとすれば」
「なに?」
「自分の親を殺すことなんかは決められてない。そんなことすれば殺した自分が罰を受ける」
「そう……なの?」
 灰音は一瞬目を大きく開けてこちらを見た。しかし、すぐにその目をまた元のように伏せた。
「もしかしたら、そうなんじゃないかと思ったときはあった。でも、私が生まれたときからこの村はずっとそうだし、今までも例外はほとんど無かった。だから、私がこんな疑問を思うこと自体が違うことなんだと思ってた」
 村(ここ)に居たからこそ気づかなかった、当たり前の異常。
「でも、いろんな人が居る。人が人を殺すことも日常のように起きてる」
 ここよりもひどいことが、俺が知らないだけでもっと起きている。言葉で簡単に表せないほど、ひどい世界。 
「でも、アキトの側には両親が居る人がいっぱい居るんでしょう?」
「俺の知り合いは親が居ない人が多いけどな」
「なんで?」
「孤児院っていって、親が居なくなった子供を預かるところに居るんだよ、俺。最近まで親が生きてるなんて知らなかったし」
「そうなんだ」
「もちろん、そんな奴は少ない。俺の周りがちょっと特殊なんだ」
「……アキト」
 灰音は俺の名前を呼ぶとこちらを見上げた。不安げな顔だけどまっすぐにな目に、少しドキドキした。
「なに?」
「私が『外』に行きたいっていったら、連れてってくれる?」
「俺は構わないけど……いいの?」
「明塗が連れて行ってくれるなら、大丈夫だと思う。ねぇ、いいでしょ?」
 別に断る理由はない。そして、『外』を願う少女。その力になってあげたいと思った。きっとそれは村(ここ)に来たからだと思う。ここから連れ出してあげたい、そんなことを思ったのかもしれない。
「ああ、いいよ」
「やった! よろしくね!」
「ゎ……」
 凄かった。不覚にも声を上げてしまった。出会ってから初めて見せてくれた、満面の笑顔だった。元々顔も美人だし、先ほどから色々質問をされているときのわくわくした顔も良かったが、今回のは完全に不意打ちで完璧で幸福で降伏だった。
 多分、俺は笑顔になってくれた事が凄くうれしかったんだと思う。
 出会ってから今まで、彼女が見せる表情はどこか暗かった。
 
 あの笑顔をいつでも、いろいろな人にしてくれればいいのにと思う。
 そして、彼女から笑顔を取った原因はきっとそこにあるものだ。
 この家には、大切なものが欠けている。
 欠片の思い出を、彼女は話してくれるだろうか?
「……なぁ、聞いてもいいか? あの血のこと」
「なによ。いきなり」
「いや、気にしないようにはしてたけど、やっぱりあれの事を聞かないわけにはいかないし。あ、しゃべりたくないんだったらそれでもいい」
 こっちが気にしたままだと、向こうにも気を遣われるかもしれない。それでも喋りたくないというのなら、それでこの話を終わらそう。
 凄く、ものすごく違和感はあるけど、この異常な風景も彼女にとっては何かの『思い出』なのかもしれない。
 ……それでも凄く居づらいけど。
「ん〜、そうね。血(それ)をずっと残すのもいけないしね。これを機に部屋をきれいにしよう」
 それはありがたい。ここに来るたびこれを見せられたら帰って寝ても寝覚めが悪い。いや、まず寝れない。
 
「あたしね、お父さんが大好きだったの」
 紡ぐ言葉はたどたどしく、視線は血にぬれた床と壁を見ながら少女は語り始めた。
「いつもお父さんの後ろにくっついてた。何かあったらお母さんより先にお父さんに話してた。でもお母さんが嫌いだった訳じゃないの。その何倍もお父さんが好きだっただけ――――この村の掟だと、二十歳になるときに両親のどちらかが居なくなる。だから、別に意識してなかったけど、ただ漠然と、お父さんはずっといてほしいな≠ニ思った」
 灰音はこちらを向くと、少しだけ笑った。目も口も笑ってるのに、どうしても眉毛だけハの字になっていた。そこに寂しさが詰まっている気がした。
「でね、気づいたら二人とも殺してた。なんでだろうね? 居なくなるのはお母さんだけでよかったのに……」
「覚えてないの?」
「んー、おぼろげなんだよねー。気づいたらそうなってたし。自分が思ってたほど感情はなにも残らなかった。一人になってすごく寂しいなって思っただけ」
 灰音は自分の髪留めをなでるように触った。
「これはね、お母さんのものなんだ。最初に死んだ親から、能力と一緒に受け継がれるもの、何代も続いてるから家宝みたいなものね。これを受け取ったってことはお母さんが先だったのは間違いないんだけど……」
「……」
 正直、想像もできない。自分がけして体験することのないだろう非日常を灰音は喋っていた。
 話しをしているときの灰音の『色』は、水の中に溶かした絵の具を落としたときのようだった。ボツッ、ボツッと灰色の水に波紋のように広がる赤や青の色(感情)。しかしその色はやがて薄くなり、灰の中へと溶け込んで消えていった。
 記憶が曖昧な彼女には、他の感情の色に染まることも出来ない。今までここで暮らす間に作られてきただろう彼女の『色』。ほとんど無くした彼女のそれは、靄(もや)のように消えて無くなりそうだった。
「しんみりしちゃったね。ま、話の内容的にしょうがないか!」
「ああ、ごめんな。話してくれてありがとう」
「いいの! こっちこそありがとう。話してて思った……わたし、きっとずっと誰かに話したかったんだなって」
「ならよかった」
「長居させちゃってごめんね。行くんでしょ、村長の所」
「ああ」
「私、あの人あんまり好きじゃないから一緒に行かないけど」
「好きじゃないのか?」
「うん。なんていうか、何かいやなことをされたって訳じゃないんだけど……なんとなく」
「なんとなく、ね」
 なんだろう。生理的な物だろうか? それならばあまり関係ないのだが、一瞬彼女の色の中に赤い点が出たのは気のせいだろうか?
「じゃあ私待ってるから、さっきの約束、忘れないでよね」
「……本当にいいの?」
「いいの。一人でここにいてもしょうがないし、こうして会ったのも縁だからさ。お願い」
「わかった。じゃあ、ちょっと待ってて。帰りに迎えに来るから」
「うん! ありがと! お礼にこのいちごを」
「ねえ、わざと?」
「なにが?」
 あーこれはタチが悪いかもしれん。

 ◇I-W

 村の奥に進んでいく。相変わらず村人は一人も道端にいない。
 暗がりの中、最後の用事を済ませに行く。
 やがて、目の前にひときわ大きな家が見えた。
「ここなんだろうな。間違いなく」
 二階建ての家。高さという優位性を持って、村の絶対的な頂点にいることを強制的に認識させている建物。
 二階の一室だけ明かりがついている。多分そこに島と村長がいるのだろう。話の方はまとまったのだろうか?
「おじゃまします」
 呼び鈴もないのでこっそり入る。まあ、俺が行くことはもう伝わっているはずだし問題ないだろう。
 頑丈な作りの階段を上る。上の方ではかすかに話し声が聞こえていた。階段を上りきる頃、話し声もやんだ、いいタイミングだし入ろう。
「あのー」
 我ながら間の抜けた声でふすまを開ける。
 視界にまず入ったのは、島だった。そして、右半分の視界は腕だった。
 腕がこちらを向いた。
「あ、明塗!?」
 聞き覚えがある声と同時に、知っている顔がこちらを向いた。
 パンッ、と軽い音が三回した。銃の音のように聞こえた。
 そして、こちらを向いた体が、自分に倒れかかった。
「少々予想外ではあったが、結果としては問題ない」
 奥の方で島の声が聞こえた。
「ぐ……う……」
 自分のことを名前で呼んだ大人の男は、苦しそうにしていた。背中からは、血が服を濡らしていた。
「……ダメじゃないか、村から……出ろって言われただろう?」
「あ……の……」
「ここにいると……お前も殺される……ここから逃げなさい」
「え? なんでそんな」
「お前のお母さんは未来が見える……」
 息をするのもつらそうなのに、必死に自分に言葉を投げかける。早く病院なりに連れて行けばいいのに、今はその顔と声から自分をそらせなかった。
 彼の『色』は見えない。
 だから、今自分を見ているこの人がどんな感情なのかがわからない。
 自分が来て良かったのだろうか?
 それとも迷惑だったのか。
 苦悶の色を浮かべる顔からは、表情からでさえ感情を読み取らせることを拒否していた。
 自分以外の人間なら、あるいは何を思っているのかがわかったのかもしれない。
 だが、わからない。
 ……今やっと、自分がこの能力に頼って、無意識に依存してきたことを痛感した。
 わからないことが、こんなにも歯がゆくて、切なくて、悔しくて、苦しかった。
「目で見て……念じろ……それがお前の能力(ちから)だ」
「もう……いい」
「本当にごめんな。明塗……お前の母さんを、嫌いにならないでくれ。そして、どうか守ってほしい」
 最後に謝罪と、妻のことを自分に願うと目を閉じた。やがて、男の体から力が抜け、苦しそうに曇っていた表情も和らいだように見えた。
「あ……あ……」
 しかし、その姿はどうしようもなく一人の人間の『死』だった。
 人が、死んだ。
 目の前で、今まで人間だったモノがただの肉塊になったのがわかってしまった。
 苦しそうにしていた顔も、呼吸も、先ほどまでは確かに『生きている』という証だったのに、それが無くなってしまった。
「あ……」
 言葉にもならない。人が死ぬことによる衝撃に、ただ埋もれていた。
 それでも、なぜかそれほど悲しくはならなかった。こんなにも人の死を感じ……ましてやそれが自分の父親だというのに。それはまだ、自分の中では父親と認めていないからだろうか。制動する思考の中ではうまく理解することが出来ない。
 父への認識を認めるために混乱する中で、死の認識も混乱していた。
 ……彼は俺に何をくれたんだろう。
 会うはずがないと思っていた、産みの父親。
 会ったと思ったら居なくなってしまう父親。
 誕生日も、クリスマスも、何もくれなかった。今更、この命以外の何をくれるのだろう?
 ただ……かけられた言葉は無駄にしたくなくて……忘れてはいけない気がして、自分の中に沈み落とした。
「話は終わったか。君にも死んでもらおう」
 カチャ、と音が聞こえる。
 目で見て、念じる……その言葉が自分の底から聞こえる。
 何を念じるのかわからない、ただ、今自分から出てくる感情、それを視界にすべて乗せる。
 見上げた瞬間、また乾いた軽い音が聞こえた。

「!?」
 島は驚いた表情をした。だが、すぐ気を直してまた銃を撃ち込む。
 二回引いた引き金と、それに呼応する音。だが、聞こえたのは音だけで、撃たれたはずの自分が苦痛に顔を歪めることも、撃たれた衝撃に呻くこともなかった。
「消えたのか!?」
 自分でもそう思える。確かに音はしている、弾丸は自分では見えない。でも、この距離で当たらないのなら、そう思うしかない。
 ただ、自分に向けられた銃口を見つめていただけだった。
「くっ、こんなに早く使えるとはな」
 島は銃を捨て、懐からナイフを取り出した。昨日、自身の腕を切ったナイフを。
(そのナイフで、また……殺すのか?)
 自分の中の感情がまた溢れる。ナイフと腕、それだけを見る。

 ズッ

 聞こえるか聞こえないかの音が一瞬して、島の持っていたナイフが、右腕ごと無くなった。
「なっ!」
(こっちには来させない)
 右足を見る。
 またズッ、という音がして、足の付け根から先が無くなった。腕も足も、切り取られたのではなく、本当に『無くなった』。あってはいけない物を世界が隠すように、両方消えた。
「ぐっ!?」
 バランスを失った島は、床に倒れ込み、驚愕した目でこちらを見ている。
(次は……)
 そう思ったとき、

 ガシャァアン!!!

 島の後ろの窓ガラスが爆ぜ、黒い塊が中に飛んできた。
 集中力が一瞬切れ、ガラスを見やる。
 塊は丸めていた体を元に戻すと、床に倒れている島に近づいた。
「遅かったな……」
「しゃべらずに」
 外からガラスを突き破って中に飛び込んできたのは、東陽先生と戦っていたはずのマリアだった。
 一言だけ言うとマリアは島の体を抱え、こちらを一瞥し自分が突き破ってきた窓から出て行った。弾丸とまではいかないが、人間が出せるとは思えないものすごいスピードだった。
(逃がさない!)
 窓から見えた黒い影に視線をぶつける。逃がさないように、周りごとすべてを対象にする。
 先ほどより重い音。
「くそっ! 逃がした!」
 そう自分で叫んで、急に我に返った気がした。
 辺りを見渡す。
 部屋に残ったのは、事切れた自分の父である男と、おそらく村長だと思われる知らない男だけだった。
 真っ赤な『色』。鮮血のような。島が村のことを話すときに発していたような、憎しみや恨みが持つ昏さのない、純粋な赤。
 彼の色は、そんなことはないはずなのだが、もしかしたら今まで死んでいった村人の血なのかもしれない。
 そして、それに劣らない深紅の首輪。この男の色は代々積み重ねてきた業かもしれない。ただそこに居るだけでも、物腰と淡々と年輪を刻んだシワにより威厳を感じさせた。
「お前が相馬明塗か」
「……あなたが、村長?」
「ああ、助かった。……いや、この後のことを考えればそういうわけでもないな。私はお前を殺さなければならない」
「……どういうことだ?」
「お前が厄災だったとはな。相馬明塗」
「……」
 言っている意味がわからない。それに、地面に倒れているこの人をこのままにしておけない。連れて行かないと。この人が愛した人の所へ。……すごくつらいけど。
「その盾(おとこ)はどうでもいい」
「は? どうでもいい?」
 人が死んでるのに、どうでもいいだって? 人が死んでるのにっ!
 怒りのまま村長をにらみつける。
「ま、まて! まて! 私を殺したらこの村人も死ぬぞ!?」
 狼狽しながら村長は言った。
「……?」
「私の能力は『殺人誘発』と『殺人穏当』だ。私が消えれば、村人は自分が殺人したことを思い出し、発狂するかもしれない。いや、最悪の場合自殺、もしくは身内を殺した相手への報復が起こるだろう」
 村を守るために村人を殺す掟。その破綻している掟に依存してしまっている村。この男を殺すだけで村が壊れてしまう。
 そういう意味で、この男は確かに村長でなければいけなかった。
「俺が、厄災というのは」
「『予言』と言っておこう」
「そんな曖昧な物信じられるわけが」
「信じなければいけないような事が起こったのだよ」

◆◆◆◆

 厄災が起こると予言した陰陽師。
 だが、『厄災』という表現に村長はにわかには信じられてなかった。
 懐疑的な目を向ける村長に陰陽師は続ける。
「厄災は二度起こる。近く、災の一片が起こるであろう」
 
 数日後、痛ましい事件が起こった。
 ある一人の村人の力が暴走したのだ。
 その村人は生い立ちから周りと少し違っていた。
 彼女の父親は、彼女の祖父であり、母親はその祖父の娘だった。
 つまり、近親相姦により生まれた子だった。
 特異な関係で生まれた彼女は、それでも健康に害はなく成長し、現代で成人と呼ばれる年齢まで成長した。
 そして、小さな事故が起こる。
 雨により増水した川で、彼女の両親が死んでしまったのである。
 二人の亡骸を見て泣き叫ぶ彼女。
 ……そして、『厄災』が起こる。
 彼女の父は水を操る能力を持っていたのだが、彼女のそれは死んだ父の能力とは少し違っていた。
 豪風と地震。人間によって起こされる人災という名の自然災害。
 それによって二十人ぐらいの死者が出た。村人達は抵抗出来ない。
 日常生活で使える程度の能力しか持たない村人は、その他大勢の人間達とそう変わりはなかった。
 その後、陰陽師の力でその人間を誅殺することが出来た。
 陰陽師の予言は当たっていた。
「なぜ知っていたのに助けなかった」
「助ければ信じてもらえないだろう。数代後に来る本災(ほんさい)はこれどころではない」
「……厄災は、もう一度あるのか? それを防げばもう起こらないのか!?」
「是。防ぐ方法は各々で対処のこと。よく備えられよ」
 それを言うと陰陽師は去っていった。 
◆◆◆◆ 

「厄災が発動する鍵であるのは、『異端者』であることと、不安定な『感情』にある。先ほどのお前がまさにそれであった」
 村長は俺を指さした。
「村人は、全員様々な『色』をした小物を持っている、火を扱う物は赤いもの、傷を治すなら緑や白。それは親から受け継いだ物(ちから)だ。それを持って能力は発動する。しかし、お前はなにも持っていない」
 倒れている自分の父、その指には黒い指輪がはめてあった。
「でも」
「お前は『異端』だ。それは予言によるまがうことない事実。お前の両親がどういう理由でお前を村の外に出したかはわからんが、お前はここに戻り、他の者とは違う条件で能力を発動させた」
「……」
「お前が死ねば、この村は厄災から開放される。私達が生きている限りは、村人も自分のしたことを悔やむ苦しみもないまま、穏やかに死んでいける」
「村長としての能力があれば俺が死んでも同じじゃないのか?」
「厄災が無くなれば、『殺人穏当』の能力も掟も無くす。そのまま子孫の代になり忘れた頃にすべての能力を外せば問題ない」
「……もし、俺がこのまま逃げたらどうなる」
「知れたこと。次の厄災が来るまで続けるのみ。ここまで来れば次も早いだろうがな」
 こいつ、手段が目的になってしまってる。こんなことを続けていれば村人が減り続け、どちらにしても村は滅ぶ。自分の言っていることの矛盾がわかってないのか?
 でも、俺が死んだら無くなるのか。……灰音のように、自分の肉親を殺すことも。殺した他の誰かを恨むこともなくなる。この村人のすべてが、自分の命一つで救われる。
 俺は死にたくないけど、まだ生きたいけど、同じようにそう思っている人を何人も救える。
「村が死ぬかお前が死ぬかだけだ。お前に、これから死ぬすべての村人の命を背負う覚悟があるか?」
「………………」
 この男は、死んだすべての命を背負ってきた。手段を間違えていたとしても、目的のために村をここまで持ってきた。
 目的を駆ることを支えた、意志、力、自信。それを赤い衣にして、この村をここまで存続させてきた。
「お前に猶予をやろう。本当はすぐに捕らえたいところだが、別れを済ませてきてもいい。そのまま忘れてもかまわない。この話を聞いてそれができるならだが」
 村長に言われた言葉に、今は縋る(すがる)しかなかった。

 ◇

 人がやってきて、自分の父親を速やかに運んでいく。
 まるで慣れているかのように。事務作業のように。悲しみも憎しみの表情も無く、死者へ弔いの一言も無く、淡々と死体を運んでいく。
 人が死んでいる。しかも、家族とはいえないまでもかなり近しい存在であるはずの人間のはずなのに。
 そして、俺はただそれを眺めてることしかできなかった。ほかの村人と同じように。
 漠然とした喪失感だけがあった。
 父親から受け継いだのは、結局、
 形のある能力(モノ)と
 形のない願い(モノ)だけだった。
 あまりにも少ない……でも、唯一もらったモノ。
 どちらも、手放すことは出来なかった。
 父親の色、透明。
 空気のように、そこにあるのに『無い』色。
 自己を無くして、他が入るのをただ受け入れる空間。
 自己を殺してまでやることがあったのか。
 それとも、そうすることしかできなかったのか。
 もうわからない。

 外に出ると信じられないことがあった。
「そんな……」
 この家の目の前の地面半径十数メートルが抉れていた。
 そして小さくなった抉れは、蛇が動くように蛇行して数メートル続いていた。
「これが、俺の……力」
 受け継いだはずの力は、全く別のモノになっていた。
「俺が、厄災……」
 村長とのやりとりが、脳内で壊れた機械のように止まることなく勝手に再生した。

 俺はその後相馬家へ行った。
 ……謝るために。
 先ほど俺を拒絶した人は、驚くくらいすんなりと家の中に通してくれた。
 俺がおそらく一年ぐらいいた場所は、だがそれらしい物は一つも感じられなかった。電気製品が何もないことと、古い家だと言うこと以外は、普通の二人の大人が住む家だった。
「お、俺のせいで……」
 そう口にしたとき、急に心が締め付けられた。
 そうか……この人の大事な人は俺の目の前で死んでしまったんだ。俺がその原因を作ってしまった。彼女を顔を見て話した瞬間、悲しみといたたまれない気持ちで頭がいっぱいになった。
「ごめん……なさい」
 ただ謝ることしかできない。
「あなたのせいじゃない。それに、あの人が死ぬのはあなたが来たときにわかっていたから。それは運命だから仕方がない」
 確かに直接的には殺してないし、そもそも殺す理由もない。それでも、そう言われてしまうと、返す言葉もない。
「この村にいれば、あなたは確実に死んでしまう。だから、この村から出て行きなさい。この村のことは忘れて、自分のことだけを考えて生きなさい」
 俺の将来を予知する言葉。
「でも」
 ……そんなことはきっと出来ない。
「私達はあなたを捨てたんだから、今更親の顔なんてしない。忘れてくれていい、恨んでくれてもいい、あなたにはその権利がある」
「俺が死ねば、この村は救われる」
「あなたが死ぬ必要はない。これはこの村に科せられた罰みたいな物だから。あなた一人が背負うものじゃない」
「なら……一緒にここから出てほしい」
 守ってくれ=B死に際に彼から言われた願いを自分の言葉に乗せる。
「…………ありがとう。そう言ってくれただけで十分。でも、私はここで生きなきゃいけない。さあ、行きなさい」
 少しほほえんだ表情は、母親らしい、とてもやさしい物だった。でも、その中に悲しさと寂しさが入り交じっていた。
 父親である人の願いと、母親である彼女の言葉と表情。どちらを取ればよいのかわからない。
 俺は、逃げるようにして自分が生まれた家を後にした。
 また、大事な決定を棚に上げたまま…………。

 ◇I-4

「あ、アキト」
「……」
 外に出ると、灰音が玄関先にいて話しかけてきた
「あたし、なんだかおかしいの。君と話してから、あの時のこと、思い出しそうで……でも、すごく怖いの」
「……たぶんそれは村長のせいだよ。この村を出たら、耐えられなくなる」
「そう、なんだ……」
「この村に残った方がいいかもしれない」
 つらい思い出は、思い出さない方がいいのかもしれない。
「い、いいの! 決めたから。……それに、思い出すなら、きっとその方がいい。忘れない方がいい、そう思う」
「……わかった。じゃあ行こう」

 村を出て、入ってきた道を戻る。
(そういえば東陽先生は!? マリアがあの場にいたってことは!)
 急に思い出し駆け出す。
「どうしたのアキト!?」
 村と外とをつなぐ境界線のような川を渡り、あたりを確認する。
「血……」
 東陽先生とマリアがいたと思われる場所には、血があった。血を出した対象の生死が不安になる量だった。
(でも……いない)
 どこかに隠れているのではないかと近くをよく探したが、血以外は何も見つけることができなかった。
「あ……あ……」
「どうした?」
 灰音の様子がおかしい。まさか。
「あぁぁああああ!!! おとうサん! おカアさん! 私! ワたし! あぁぁあアアああぁあ!!!」
 灰音が自分の近くにある岩を素手で砕く。
 常人なら拳が先に砕けるはずなのに、そんなこともなく、骨と岩がぶつかるにぶい音をさせながら、しかしクッキーやクラッカーが壊れるように、岩は簡単に粉砕している。
 岩を壊し続けるまさに鉄拳。ただ、手の皮がむけて表面から血が出ていた。
「おい、やめろ!」
「あぁ! ……あ……あぁ……」
 岩を砕く動作は止まらない。何かを振り切るかのように、自分の思いをぶつけるかのごとく、ひたすら岩を必死に殴り砕いている。
「決めたんだろ! 思い出すんだろ!」
「はぁっ! ……はぁ……はぁ」
「最悪な思い出でも、思い出にするって決めたんだろ!」
「はぁ……ふぅ……」
 灰音は岩を殴るのをやめ、呼吸を整えていた。
「灰音!」
「……あたし、お父さんを殺そうと思ったんだ。でも、それがいやで。お父さんへの感情をお母さんにぶつけたんだけど、それでもダメで、結局、お父さん殺しちゃった」
「……」
「もう、大丈夫。大丈夫だから」
「本当に、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。受け止めるから……。そう決めたんだから」
 そう言って灰音は笑ってこちらを向いた。
 顔色は悪かったけど、口も目も眉毛も整った、きれいな笑顔だった。

 ◇

「うわ! これが車!? すごーい!」
 さっきは苦しそうにしてたのに、今はこんな感じで元気だった。子供みたいに目を輝かせて車のボディを触ったり中をのぞいたりしている。ただ、その間灰音は俺の手をつなぎっぱなしだった。『だれかに触ってないと不安になるから』ということらしい。
 無理をしているのかもしれない。でも、今はしたいようにさせたい。
 手をつなぐことはうれしいのだが、なんというか先ほどの怪力を見てしまうと少し複雑な気分だ。俺の手はこの先大丈夫だろうか? 何かの拍子にバナナのようにグチュッとされないだろうか?
「ねえこれって中に乗れる?」
「ごめん、鍵は持ってないんだ。免許はあるけど」
「なんだよ〜使えないなぁ」
「……ごめん」
「買う金も無いんだろうね。ホントダメ男ね」
「……」
 …………泣くよ?
 車がまだここにあるということは、あの二人はまだ村にいるのか? 目的が目的だけにあそこに居続けることはできなそうなのだが。

 駅までの道を二人で歩く。道は月や星の光で明るい。昨日、電車から星を見て思っていたことを思い出した。今度こそ、俺の産みの父親はあの星の一つになってしまった。
 切符売り場で切符を買うときも、電車に乗るときもすごいすごいと連呼していた灰音を押さえるのが大変だった。とりあえず、電車内のイスで跳ねるのはやめてほしかった。人は少なかったが、みんながこちらを見ていて恥ずかしかった。年頃の女性がそんなことをしていたら自分も注目するが。
 ……そういえば、帰りは交通費ゼロになるはずだったのにむしろ倍になった……。

 白露駅から、すぐどこかに行きそうになる灰音の手をなかば引っ張りながら施設に着く。
「ただいま」
 志恩が血相を変えた様子で出てきた。
「明塗おかえり! 東陽先生が大変なん……ええぇっ!?」
 そんな大声上げるなよ。わかってるよ……。
「……」
 志恩はふるふると震えている。
「なあ、しお……」
「あら、お客さん? いらっしゃいませ。いきなりのお越しなのでなにもご用意しておりませんがどうぞお上がりください。今からお茶をお出ししますから奥の部屋にておくつろぎください」
「……」
 ……そうきたか。さすが猫かぶりの猛獣だけはあるな。強力な理性で怒りを抑制し、自分の中に内包している。
 内包しているものはそのまま消化されることはなく、吐き出さなければならない。そして、その矛先はいつだって弱いものへと向けられるのだった。
「あきと君。ちょっと色々と手伝って欲しいからこっちに来てくれないかしら」
 おおこわい。何でなまえ柔らかく呼ぶの?

 そして、俺は自分の部屋に志恩を連れて来た……もとい、連行された。
 ドアが閉められる。怖い。自分の部屋のはずなのに、確実に尋問室の空間になっている。
 まあでもまさか、志恩がちょっとお客を連れてきただけで理由もなく怖いことをするはずがないだろう。だって俺達は家族……
「洗いざらい話してもらうわよ」
「……」
 過酷な尋問の始まりだった。
「なんなのよあれは」
「話せば長くな」
「うるさい黙れ」
 ええーっ。
 洗いざらい話すんじゃなかったの?
 じゃあどうしろと。
「私の質問に簡潔に答えなさい」
「……はい」
「あの美人さんは誰?」
「あれは、今日村で会った人だ。詳しく話すと」
「そう、ナンパしたのね! 普段なにもしないヘタレなくせに、弱い立場の子を誘惑して連れて来たわけね!」
 話を聞いていない!
「そしてなんであんなに楽しそうにうれしそうに手をつないでるのよ?」
「あれは、やんごとなき理由があって……」
「ホント最低ね。その手を東陽先生に生姜漬けしてもらった方がいいんじゃない? 消毒よ消毒」
 ……ちょっと想像して手がヒリヒリしてきた。ていうかそれは相手に失礼だぞ。
「なあ、勘弁してくれよ。成り行き上仕方がなかったんだって。とりあえず今日だけここに泊めてやってくれ」
「ちょっ! 泊めるの!?」
「部屋は余ってるし大丈夫だよな?」
「ア・ン・タ・はぁぁぁああ!」
 まずいやくざキック(前蹴り)が来る! 今度は軌道的に胸か!
 ガッ!
「うぉお!」
 あわてて両腕で胸をガードしたが、蹴りの威力により少し後ずさりした。
「勘弁してくれよ」
「イヤ! 勘弁しない!」
「あいつ、もう一人ぼっちなんだ」
「えっ……?」
 志恩は構えたまま顔だけぽかんとしている。
「あいつ、両親がいないんだ。もう寄りかかれる人がいないんだ。俺達の年齢で自分以外誰もいないっていやだろ? 俺達にはそれがわかるだろ?」
「……」
「だから、頼むよ」
「…………ふん、まったく甘ちゃんなんだから」
「ありがとう」
「うるさい! 大体私達と同じって言われて断れるわけないじゃない。さあ、棚の上にあるお茶請け出してきて。お茶入れてすぐ行くから」
「おお、わかった。ほんとにありがとな」
「早くしないとまた蹴るわよ?」
「はいはい」
「お茶出したら東陽先生の部屋に一緒に行くわよ」
「そうだな。わかった」
 お茶請けを持って台所から出る。志恩も灰音と仲良くなってくれるといいな。

 お茶請けを大部屋に持っていくと、灰音が部屋の真ん中で突っ立ってフンフンいっていた。においをかいでるようだ。
「なにしてんの?」
「なんかこの家生姜くさいわね?」
「あ、あーまあな……。これ、お茶請け。好きに食べて」
「おーお茶請け! くるしゅうない」
「殿様かよ……すまないがもうしばらく待っててくれ」
「うん。ねぇ、『テレビ』見てもいい?」
「いいよ」
「やった! サンキュ! いい男」
 さっきダメ男と呼ばれた気がしたが、良くないことは忘れよう。その方がいい。

 志恩と東陽先生の部屋に行く。
「いきなり血だらけで帰ってきたのに、病院にも行かないって言うのよ? あの年齢の人はツバ付けときゃなんでも治ると思っているのかしら?」
 さすがにそれは偏見だと思うが。もしかしたら、ここで待ってくれていたのだろうか?  こちらから聞きたいこともあるし。
「先生、入ります」
 扉を開けて目に入ってきたのは、ガーゼと包帯で体を白く包んだ東陽先生だった。
 ところどころ、血が滲んでいた。
「相馬君。お帰りなさい」
 やさしく帰りの挨拶をする東陽先生だったが、顔はこちらを向けず、体も動かせていなかった。
「先生……なんで」
「私は私の仕事をこなしただけです。今回は相手が悪かったですが」
「ちがう! なんで」
 今まで教えてくれなかったのか。
「私にこの仕事が来たのは君がここに来る少し前からです。君の両親が君を預けに来た理由はわからなかった。ただ預けに来たからには、君が希望したり向こうから連絡がない限り、お互いの接点は無い方が良いと思ったので」
 そして俺は、島に会ったことで接点を持ってしまった。
「君の両親が会いたがっているなら、君さえ希望すれば会わせない理由がない。それだけです。でも、君の顔を見るとどうやら間違いだったようですね」
「いや、そんなことない。良かったと思う」
 村に行かずいつも通り過ごしていれば、きっと平凡だけど平和な生活ができていただろう。つらい思いをするとわかっていたら行かなかったと思う。
 でも……きっと、あのまま何もないよりは絶対良かった。顔も見れたし……もう居なくなってしまったけど、声も、気持ちも聞くことが出来た。
 だから、絶対それで良かったと、今はそう思っていたい。
「東陽先生。俺が死ねばあの村は救われるんだ」
「は!? なによそれ! あんたなに言ってんの!?」
「俺、実はやばい人間らしい。確かに自分でも怖い」
 俺は、村で起こったことを話した。産みの父親が死んだこと。それと同時に能力を使ったこと。村長との会話。
「そう。その……色々大変だったのね」
「ああ」
「でも、死なないと救えないなんて……」
「なあ、俺はどうしたらいいんだろう? 先生、志恩、教えてくれよ。俺は死んだ方がいいのか?」
「死んでいいわけないじゃない!」
 俺の言ったことをすべてかき消そうとするぐらい、大声で志恩が叫んだ。
「でも、このままだと死ぬ人がまた増える。殺したくもないのに殺す人も、それを悲しむ人も増える」
「なんで、あんたの命なのよ……」
 志恩は怒っているような、でも泣きそうな顔をしている。それを見ただけでも自分には価値があるのかなと思ってうれしかった。
 ここですべてを忘れれば、今までの生活に戻れる。
 俺だけ幸せになろうとしている。それでいいんだろうか? 今までたいした人生も歩んでこなかった。この先これ以上幸せになるのはおこがましいのではないか?
 死んでいった村人達の叫びが聞こえる。
 お願いだから死んでくれと。
 もう、苦しみたくはないと。
 俺はその声を知ってしまった。
 知ってしまったから見過ごすことができなくなった。
 一つの命で、この先の不幸をすべて救えるのなら、終わらせることができるなら――。
「死ぬ必要ないよ」
 ドアの方を見たら、灰音が入り口に立っていた。
「アキトが死ぬ必要ない」
「でもそれじゃあ」
「大丈夫だよ」
「えっ?」
「大丈夫だよ。人は、そんなに弱くない。みんな乗り越えられる。きっと。私がそうだったんだから」
 灰音はにっこり笑って言った。
 檻(むら)の中で育った少女。強制されたとはいえ、自分の力ですべてを壊して、失ってしまった。
 俺に、死んでほしいと願ってもいいつらい経験をしてきた。
 それでも、自分のしたことをすべて受け止めても、死ななくていいと、生きてもいいと言ってくれた。
「だからさ、やっぱり村長にやめさせるか、私みたいにみんな外に連れだそうよ。あんなこともうしなくてもいいんだって、外はすばらしいんだってみんなに伝えようよ」
 生きた上で、すべて終わらせよう。灰音はそう提案した。
「情報はすべて出たようですね。明塗君、最後は君が決めてください」
「……うん」

 先生の部屋を出て自分の部屋に戻る。

 死ぬのは怖い。
 生きたまま人の死を感じ続けるのはつらい。
 すべてが灰音のような人ばかりではない。自分を恨む人はいるだろう。その思いを受け止めて生き続けることはできるのか。
 俺も、あそこでマリアが入ってこなければ、島を殺していただろう。島がいくら自分の体を修正できるからと言って、すべてが無くなってしまえば意味がないのだから。
 あんなことになってしまって、マリアには恨まれているだろう。島を連れ出したときに見せた一瞬の視線は、とても冷たいものだった。
 憎しみが螺旋のようにくるくると繋がっていく。
 コンコン、とノックの音が聞こえた。
「……志恩?」
「……うん」
 ドアを開けないまま志恩が答える。
「どうした?」
「ねぇ、明塗。絶対帰ってくるよね?」
「……」
「死ぬなんて言わないよね? ……そんなの、悲しいよ、寂しいよ」
 寂しい、か……。
 志恩は、俺と同時期に施設(ここ)に入ったせいか、とても仲が良かった。性別は違えど、いつも一緒に遊んでいた。他の孤児にも気を利かせるのがうまく、一番年下なのに中心的な存在でもあった。
 志恩の両親は俺とは違い、行方も連絡もついた。だが、それが逆に不幸だった。志恩が会いたいと願った想いは、どちらにも届かなかった。両親のどちらも志恩との面会を拒絶した。邪魔をしないでと、二人から存在を無いことにされ、完全に繋がりを絶たれた。
 それでも志恩は変わらず、みんなを大事に想ってくれていた。
 俺には、他にも家族が大勢いる。血は繋がってない家族が。でも、過ごした時間は、重ねてきた絆は、血よりも濃く繋がっている。
 ……やっぱり、居なくなるのは寂しいよな。
 誰が苦しむのも見たくない。なら……。
「志恩」
「うん?」
 泣いていたんだろうか。声が震えている。
「俺、村に行くよ」
 悲しむ人がいて、それを救える手段が俺にはある。
「……ぃや……だ」
 声を振り絞って志恩は言う。
「でも、お前を泣かせるのはイヤだ」
 そう、もしもすべてを救えるのなら。
「へ?」
「言っただろ。俺の家はここなのは変わらない。お前が大切なのも変わらない。だから、村を救って、ここに必ず帰ってくるから」
 想いは、すべて受け止める。恨みも憎しみも。それでも生きて、俺の大切な絆との未来を、つないでいく。
「……うん」
「遅いからもう寝ようぜ、俺も寝るからさ」
「うん、じゃあ……また明日」
 未来の言葉、『また』も『明日』も。今後何回も言えるように、無くさないように。

 ◇

 朝から色々大変だった。
 たたき起こされることもない休日という最高の環境で惰眠をむさぼり、ゆっくり起きられたのは良かったのだが、眠い目をこすりながら大広間に行くと、
「あ、おはよう明塗。今日は久しぶりに料理を作ったの。食べて」
「ふぁらひのふぉまふぉひゅーひゅもおんへ! (私のトマトジュースも飲んで!)」
 ドンッ、ドンッと料理ののった皿とジョッキに入ったトマトジュース(ジョッキ!?)を目の前に置かれた。
「質問がある」
「なに?」
「なぜ二人が食べている料理は違うのか? あとしゃべるときは口の中の物を飲み込んでくれないと聞き取れない」
「なに言ってんの? 同じ料理よ?」
「ふぁ! んっく……。私料理作れるから、シオンに料理教えてたの」
「ホントにうまくてびっくりしたわ」
「……なんで俺の分も作らなかったの?」
「見本として作った私の分しかないの。その後トマトジュース制作に取りかかって時間も無かったし」
「……」
 トマトジュースってトマトをジューサーに入れて終わりじゃないの? このジョッキの中に何入れたの?
「さあ、冷めるから早く食べて」
「……ああ」
 目をらんらんと輝かせている志恩を見ると食べないわけにはいかない。
 右と左の料理を見比べる。
 なぜ、黄色いはずの卵焼きが焦げ茶色いのか。
 なぜ、こちらの味噌汁だけタコの足的な物が出ているのか?
 なぜ、鮭の身が全壊しているのか?
 そしてなぜトマトジュースに黒い粒が浮いているのかっ!
 それを聞くことさえできない(トマトの件は後で聞く)。
 唯一同じ色をしているご飯の白さが眩しい。米の一粒一粒が光って見える。米の一粒に七人の神様がいるという言葉をこの年になって初めて実感した。
「では、イタタダキマス」
「食べる前から噛んでるわよ」
 箸をご飯に延ばす。
「それはいつものご飯よ?」
「ハイ、スミマセン」
 箸を卵焼きに延ばす。
 ドクン
 心臓の音がする。
 ドクン
 今能力を発動すればこの一帯をすべて消すこともできる。
 ドクン
 でも、それをしたら今度は俺が消される。もう……覚悟を決めるしかない!
「うおぉぉおおお!」
 気合いで卵を口に入れる!
「…………」
「ねぇ? どう?」
「…………以外にウマイ」
 ふわふわの卵の中から溢(あふ)れ出してきた出汁(だし)の味が口の中に広がっていく。
「以外ってなによ失礼ね」
「私が教えたんだから間違いない。色々違うのは食材とか少しずつ変えたからだよ。味見もちゃんとしたし、見た目は慣れればこれからいくらでもきれいになるよ」
「そっか……なんだよ先に言ってくれよ」
 すごく、緊張した。
 そこから先は、灰音がテレビの番組についての質問攻めに答えたりしていたって平和に過ごした。
 絶対に、すべて終わらせて、ここに帰ってこよう。
 この楽しい時間が、これから先も続くように。

 食事の時間も滞りなく終わり、いよいよ村へ行くことになった。
 私も行く≠ニ志恩は言ったけど、家に帰ったとき家族がただいまを言ってほしい≠ニかっこいいことを言って残ってもらうことにした。
 冗談半分だが、本気も半分だった。
 区別するのはいけないが、『何も持っていない』志恩は連れて行けない。
 あの村は、『能力』という物がある時点で、やはり普通とは違うのだろう。
 危険がつきまとう以上、万全は期したい。
 本当は灰音も残していきたかったが、私は村のことをよく知ってるから。絶対力になれるから≠ニ押し切られてしまった。確かに、居ると居ないでは違うだろうしついてきてもらうことにした。
 志恩は不満顔だったが……。

 出発前に東陽先生にも挨拶をすることにした。
「そうですか……行くんですね」
 先生は昨日よりは顔色も良く、首だけは動かせるようになっていた
「うん」
「よく、決断しましたね」
「先生のおかげだよ」
「決めたのは相馬君ですから」
「みんなの協力があったから覚悟できた」
 独りでは、この選択はできなかった。
『何もしないこと』を選択して、今ある生にしがみついていたかもしれない。
 すべて諦めて、自分を終わらせていたかもしれない。
 すべて終わらせて、生きる。
 それを選ぶことができたのは、俺を必要としてくれるみんながいるからだ。
「無事で、帰ってきてください」
「うん」
「気をつけてください。特に、あの忍びの少女には」
 マリア。現代では言葉が残るだけだと思っていた、昔は全国各地で伝説になっていたほどの集団。その一つの場所で随一と言われた実力。体力が落ちているだろうとはいえ、老練さで勝る東陽先生をここまで傷つけた能力。
 磨き抜かれた己の身体能力、ひたすら修練された暗器技術、『能力を使うだけ』の村人より怖い存在だった。
 それに、村人への対策ならある。
 昨日、自分の能力について実験してみた。
 どうやら、対象を目視する時の集中度で効果が変わるらしい。
 低度ならば時計やおもちゃなどは機能を停止するし、高度ならば、昨日の様にその物自体が消えてしまった。
 人間にも機能するのだとすれば、村人の能力自体は無効化できるだろう。
 向こうが多人数の場合は集中力をかなり消費するだろうが。
「わかった。がんばるよ、先生」
 東陽先生の部屋を出る。
 俺の親のためにも、絶対ここに帰ってみせる。

 ◇inherit weight

 休日の電車は、昼前でも人はそれほど多くはなかった。
 紅葉はちらほら出ているが、まだまだこれからのようだ。最近電車に乗るのは夕方から夜の方が多かったので改めて景色を見渡してみる。明るい時間に電車から見る景色は、都会の機能美とは違った自然の美しさがあった。
「村の紅葉はきれいなんだ……。赤とか黄色とかの葉っぱで地面が埋もれるぐらいになるの。その中でお父さんと遊んだり、ぎんなん拾ったりしてとっても楽しかったんだ」
 外を見ながら灰音はつぶやく。
 両親がいて、自分がいる。それだけで楽しかった、それだけで良かった時代。
 もう、作ることのできない思い出。
「ならさ、全部終わったら、みんなで遊ぼうぜ。ぎんなん拾うの競争したりしてさ」
「ハハ、みんなで拾ったら食べきれないわよ」
「拾うだけだよ。終わったらまだ戻すさ」
「ぎんなんの山ができるわよ。……でも、そうね。楽しそうね」
 端整な顔立ちの灰音は子供みたいな無邪気な笑顔になる。
 人は、笑っている顔が一番綺麗だと思う。
 
 一色駅から二度目になる道を歩き、車の脇を通り過ぎる。
「そういえば、俺二十歳だったのに衝動みたいのは起こらなかったな」
 島へ向けられたのは、殺人衝動っていうよりは怒りだったと思う。
「なんでだろう?」
「多分、ずっとこの村にいなかったからじゃないかしら? 私達は、小さい頃からある意味刷り込みされているから」
「なるほどな。それなら納得する。それと、昨日俺たちが村に来るって事は知られていたのか?」
「いえ、知らなかったわ。私と話しているときに誰かが見ていたかもしれないけどね」
「そうか」
 視線を感じた気がしたが、別に敵意というわけではなかったんだな。敵意は村長が作れる。あの『殺人誘発』の能力で。

 さらに奥に数分歩くと、橋が見えてきた。
 昨日、東陽先生がこの村に入れないように塞いでいた場所。
 灰音が両親を殺したことを思い出した場所。
 多分、ここが村長の能力範囲の『境界』なんだろう。
 橋を渡り、村への道を歩こうとして、前方に見える人影に気づく。
 そこには、金髪の少女が立っていた。

「マリア……」
「殺しに来たの?」
「え?」
「総(そう)を殺すの?」
 そう? ……島総一郎の総か。
「――灰音、先に村に行っててくれ」
「大丈夫なの?」
「多分。標的は俺だし。村の様子も見といてくれ。そっちの家で落ち合おう」
「わかった。待ってる」
 灰音は対面した俺達の横を走り村へ向かっていった。
 案の定、マリアは灰音に手を出さなかった。
「俺は、村長に話が合ってきたんだ」
「あなたを殺せば、二人で安心して過ごせる」
「話を聞けよ! 俺は島を殺すつもりはない!」
「もう、大事な人を失いたくない!」
 瞬間、マリアがナイフを手に突進してきた。
「くそっ!」
 身体能力では向こうが完全に勝っている。本気で来られたらひとたまりもない……だが、そのスピードは、常人とあまり変わらなかった。
「ん?」
 ……足にけがをしているようだ。
 島を連れ出したときには気づかなかった。
 東陽先生は自分がボロボロになる代わりに、彼女の足を傷つけていた。島を助けるときに無理をしたのかもしれない。
 しかし、それでも動きのキレ自体は確実の自分の数倍ある。
 ナイフを避けるタイミングが危うくなる。
(まずい!)
 能力は……使えない。今のマリアぐらいの心境にならなければならない。そんな器用に感情を動かせることなんて出来ない!
「うあああ!」
 マリアが感情のままにこちらに向かってきた時に近くで声が聞こえた。
「明塗!」
 ぎりぎりで避けようとしたマリアと俺の間に入ってきたのは、
 俺の……母親だった。
 ドスッ、という鈍い音が聞こえた。
「かあ……さん」
 つい、言葉が漏れてしまった。
「おかあ……さん?」
 マリアもそう言いながらナイフから手を離すと、体をこわばらせて呆然としている。
「あき……と」
 その場で崩れ落ち、駆け寄った俺の手を、血にぬれた手で握りしめてくる。
「おかあさん……おとうさん……おねえちゃん」
 マリアは頭を抱えてうつむいていた。ひどく顔が青ざめている。
「……私が……来なければ、この場所で……あなたは死ぬはずだったけど……あなたの未来を変えに来たの……。私の、未来をあげる……」
 心臓の部分を突かれている。血がどんどん溢れてくる。移動に時間がかかるこんな場所では、助かるはずがなかった。
「おか……さん……て……よ……でくれて……ありがとう」
「かあ……さん」
 他にかける言葉が見当たらなくて、名前を呼んだ。
「あき……と。ごめんね。幸せになってね……」
 母は、俺の頬に手を触れ、一撫ですると、腕をゆっくり下ろし、目をつぶった。
 そして、それきり動かなくなった。
 また、目の前で人が死ぬ。少し前に見た光景がフラッシュバックする。
 あの時と同じような、人の死。それを今度は見ることが出来ていた。
 彼女の『色』が収束していく。彼女自身が無くなっていく。
 彼女の青い『色』
 令せ、知的…………諦め、孤独。
 おおよそ母の色としては当てはまらない。
 息子を村から外に放ち、夫にも先だたれそれでも一人、村で過ごすと言った人。
 そしてここまで自分を助けに来て、未来(いのち)をくれるといった人。
 俺が来なければ、両親は死ぬことはなかった……でもだからこそもらえた。
 二人から受け継いだモノ。
 それはとても重く、でも、確かに自分の中に本物として残ったモノ。
 覚えているはずもないのに、触れられたとき、とても懐かしいような気持ちが心を暖めた。
 確かに、この人は自分の母親だった。
「う……あ……」
 ……そう思って、気づいたら彼女の頬に滑り落ちていた涙を拭った。
 自分が泣き止まなければ意味がないのに、何度も、何度も拭った……。
 
「……」
 近くではマリアがずっとうつむいたままだった。怯えるように震えているが、逃げることもせずその場にいた。
 その頭を上げさせたのは、
「マリー。どうした?」
「……総」
 島総一郎だった。
 島の右手足は、少しだけ回復していた。どちらも根本から無くなったはずなのに、二割ぐらい生えてきている。本人が言っていたとおり、死なせてくれない、ある意味恐ろしい能力だった。
 左手には松葉杖のような物を持っており、右の腕で木を使って体を支えていた。
「なにをしに戻って来た?」
「……終わらせに来た」
「死ぬということか?」
「俺は死にたくない。村長にやめてもらう」
「奴が素直に聞くと思うか?」
「……最悪の場合は、俺の能力で」
 カタをつける。
「人一人の命と、村人のお前への感情。それをすべて受け止めて生きることができるか?」
「……覚悟はしてきた」
「――そうか、わかった。好きにしろ。お前がそれをやるなら俺はもう干渉しない、俺は今はマリアがいればいい。精々つぶれないように生きるんだな。……マリア、手を貸してくれ」
「……はい」
 マリアが島の右腕を支えると、よろよろと動きながら、林の出口へと歩いて行った。
 同じ目的のはずなのに、なぜこうなってしまったんだろう。
 島の『色』は薄くなっていた。
 目的が無くなり、希薄になっていく『色』。そして、あの汚泥のように粘ついていた感覚はなくなっていた。そんなふうにさせたのは、俺が島の手足を無くしたからじゃないだろう。
 ……彼の隣に寄り添う少女を見る。
『黒』は、憎しみや怒りだけじゃつくれない。いろんな色が混ざり合い出来る色だ。その中には喜びや安らぎもある。それ故に島の色は他よりもあんなに純粋に黒かったのだろう。
 彼を黒色にしたのは彼女なんだろう。彼女が、島に足りてなかった物を思い出させてくれた。
 そして、二人でいればいつか戻るのかもしれない。あの色から憎しみが消え、いつか一人に青年が持っていたはずの本当の色に。
 そんなことを考えながら林の中に溶け込んで消えていく二人を見つめた。

 華奢で、軽くて、まだ暖かい母親を、木の根元に寝かしつける。服からは、自分が施設の他の孤児達と写った写真があった。誰かが送ったのだろうか。
 血にぬれた手と頬には、まだぬくもりが残っていた。とても柔らかくて、暖かかった手の感触。
「今度こそ、一人になっちゃったな……」
 独りごちる。父と母と呼べるモノは本当にいなくなってしまった。
「明塗……」
「えっ?」
 振り返ると、施設にいるはずの志恩がいた。
「志恩? いつから、なんでここに?」
「うん。我慢できなくて、ついてきちゃった。ずっと見てたんだけど、入りづらくてダメだった」
「来るなって言ったろ。だいたい、東陽先生はいいのかよ」
「先生の許可はもらったから、薬も効いてるみたいだし大丈夫。本当に頑丈な人ね」
「そっか……」
「……明塗のお母さん?」
「そう。似てないだろ?」
「……」
 志恩は何も言わず。しばらく一緒に母の顔を見ていた。
「よし、そろそろ行こうか!」
 少し大きな声を出すことで、気持ちを無理矢理切り替える。灰音を待たせるわけには行かない。すべて終わらせて、ここに戻ってくるから。もう少しここで休んでて。
 俺は橋へと向き、歩こうとした。
 するといきなり、志恩が俺の手を握ってきた。
「一人じゃないから……。孤独になんて、させないから……」
 握った手と同じぐらい強く、優しい言葉。
「……ああ」
 俺は一人じゃなかった。
 ありがとう、志恩。
 隣にいてくれて、本当に良かった。

 ◇

 二人で橋を渡り、村への道を歩く。
 繋いでいた手はとうに離れている。最初は繋いでいたんだが途中でなんで繋いでんのよ! 離せ!≠ニ言われてしまった。そっちから繋いできたのに……。恥ずかしいのはお互い様だろ。

 村まで近づくと、大きな声と、爆発音がいきなり聞こえた。
「え!? なに!?」
「……灰音っ!」
 何かあったに違いない。急いで音のする方へ走った。

 音の原因へ走り寄ると、灰音が一人の男の前で叫んでいた。
「絶対に大丈夫だから! お願い、聞いて!」
「うるさい! 死ね!」
 螺旋のように舞い上がり、狙いを定めて飛んでくる岩や木。まるでそれぞれが意志を持った殺人武器。それを灰音は自らの拳で砕き、へし折る。それはまるで特撮やアニメに出てくるヒーローのように鮮やかだった。
 それほどの事をしてもなお、撃ち漏らした破片が彼女の顔や体を殴り、切り刻んでいく。
「路技(ろぎ)兄ちゃん! 目を覚まして!」
 体中を血にまみれながらもなお灰音は叫び続けていた。
「お前は俺を裏切ってここから出た! お前もあいつの仲間だろ! あいつと一緒に死ね!」
「路技兄ちゃん。どうして……」
「うおぉお!」
 男が叫ぶと近くにあった農機具を乗せた手押し車がフワッと浮かび上がり、次の瞬間には灰音をめがけて突撃していた。
 灰音は足下に転がる棒と言うにはあまりにも太い木を持ち上げ、それを力任せに振り抜いた。
 物同士がぶつかり合う凄まじい音と、それらが地面に落ちる衝撃音。
 砂煙が晴れた後には、粘土のように折れ曲がった手押し車があった。
「くふっ」
「灰音っっっ!」
 灰音が倒れるのを見て、自分が今まで傍観者だったことに気づき慌てて駆け寄る。
 体中に打撲と切り傷。それとは別に手押し車に乗っていた農機具の一部が、彼女の腹の一部を傷つけていた。血の量が他とは違う。
「ああ……」
 人が……死ぬ。
 もうこれで三度目だ。この村で関わった人が死んでいく。
 もう見たくない。
 いやだ。
 いやダいやダイやだイヤだいやダイヤダいやだイヤだ!
「くそぉ!」
 血、消えていく命、後悔と恐怖。あの時と同じ感情が、自分の底から声が浮かび上がる。
 見て、念じる。それだけの簡単な作業。
 逆流する血液の中、恐怖と怒りで冷燃(れいねん)する思考。
 それに身を任せるように、ただ目を開けよう……
「だめぇ!」
 ドスッとどこかで音がした。
「それは絶対ダメっ! 本当に厄災になるつもり!?」
「あ……」
 そう言われて気づいた……そうか、今の音は
「……志恩」
「この村全部抉(えぐ)るつもりなの!?」
 そっか、志恩が腹に蹴りを入れたのか。やっと痛みが追いついてきた。確かに、あのままだったら男だけでなく、視界に入っていた周りの家々まで無くなったかもしれない。
 男は、志恩と同じように農機具がぶつかり腕を負傷していた。こちらも結構な傷だ。苦悶の表情を浮かべてこちらを見ていた。
 少しこちらを警戒している。俺が能力を使う瞬間まで言ったので本能的に何かを感じたのかもしれない。
「路技兄ちゃん。今までありがとう。色々ごめんね」
 灰音が体をかろうじて起こして、男にそう伝える。
「く……」
 男は顔を手で覆っていた。自分から見えるモノを拒否するように。
「後で殺す」
 そう言って、男は村の奥へと消えていった。
「明塗! 灰音を治療するから手伝って、早く!」
「あ、ああ、わかった!」
 今は早く灰音を治療しないと。



「良かった。そんなに傷が深くなくって」
「おまえ、凄いな」
「こんな時のために色々勉強してんのよ」
「こんな事なんてそうそうねぇよ」
「あったじゃない」
「……まあな」
 真木村家に灰音を運び、志恩が治療した。俺も相馬家から使えそうなモノはすべて持ってきた。
 志恩はものすごい手際で感動すら覚える早さで止血し、薬を塗布。ガーゼと包帯で傷を包み込んだ。
 家庭医学のレベルじゃない気がするのだが……。でも看護学校に行ってるわけでもないしなぁ。長い付き合いなのに謎が一つ増えた。
「ありがとう、シオン」
「本当に良かったわ」
「俺からもありがとう、シオン」
「死ね!」
「おいっ!」
 結構ちゃんとした礼だったぞ!
「いや、志恩が止めてくれて良かった。本当にありがとう」
「め、面と言われなくてもわかってるわよ。あんたは私が居ないとだダメね」
 志恩はそっぽを向いて答えた。何か変だったか?
 でも、実際あの場に志恩が居なかったことを考えると恐ろしいことになっていたかもしれない。それは事実だった。
「そういえば」
 気を取り直して先ほどのことを灰音に聞く。
「灰音。あの人は?」
「楠木路技(くすのきろぎ)。路技兄ちゃん。子供の時から、特に私と仲が良かったの。私が両親を殺した後も、何かと見守っていてくれた。……なんで、あんなことに」
「確かにちょっと普通の雰囲気じゃなかったわね」
「そうだな。もしかしたら村長が関係してるのかもしれない」
 会話は少しだけしか聞いていないが、ほぼ聞く耳を持たずと言った感じだった。何か強制力が働いているのかもしれない。
「でも、なんで反撃しなかったの? 少しは感づいてたんでしょ?」
「うん……やっぱり、幼なじみだしさ。もしかしたら心変わりしてくれるかなって。それに、もし死んじゃったら……お父さんの所に行くだけだしね」
「――」
 ……それは、ずるい。俺は、そんなこと言えない。
 いろんなモノをもらったから、まだ返しに行くことは出来ない。
 志恩も、何も言うことなく静かにしている。
「ねぇ」
 沈黙の後、会話を切った灰音が自分から切り出した。顔色もだいぶ良くなっている。
「なに?」
「ねえ、ここに来るときに、すれ違いに君のお母さんを見たんだけど、もしかして……」
「ああ…………あとで、父さんの横に墓を作らないとな」
 まだ、『父』や『母』と呼ぶのは違和感がある。
「その……大丈夫?」
「そうだな。悲しい……でも、うれしかったのかもしれない。あの二人に会わなければ、一生この村と接点はなかった。だから、そういう意味では感謝してもいいのかもな」
 俺に対する言葉も、触れてくれたぬくもりも、一生感じないまま過ごしていただろう。
「なに言ってんのよ。両方殺されたんだよ。あの二人に」
「そう……なんだよな……」
 なかなか複雑な気持ちだった。

 三人で家を後にした。
 当然俺も志恩も灰音には静養していてほしかった。だが、灰音は一緒に行くことをかたくなに譲らなかった。
 灰音の歩様(ほよう)に会わせてゆっくりと歩いて行く。
「でもさ、なんでついてくるの?」
「だって、二人が心配だから」
 それは嘘だな。そんな体で逆に足手まといなぐらいなのに。何か他に特別理由があるんだろう。

「静かね……」
 先ほどあんな凄いことがあったのに村全体は何事もなかったのように静まりかえっていた。
「多分、路技兄ちゃん以外は出てこないと思う」
「なんで?」
「死にに来たんなら、わざわざここで殺す必要はないのよ。ヘタに刺激したら殺されるかもしれないし」
「そうか、それを村人全員集めて伝えたわけか」
「わざわざ集めなくても、通信手段なんてこの村なら問題なくあるわよ」
 そうか、そういう能力者も居るのか。ホントある意味便利な村だな。
「アキトが暴れない限りは出てこないと思うよ」
「暴れるってなによ」
「要は『厄災』になるってこと」
「うっ……」
 痛いところを突かれてしまった。
「『厄災』か……。そういえば村の人は他にどんな能力が使えるんだ?」
 もしもの時のために、一応聞いておこう。その方が対処もしやすい。
「そうねぇ。昔はそれこそ色々あったようだけど、今はそれほど多くない。この村にとって必要な能力が多いわね」
「村に必要な能力?」
「ええ。この村で生きるために、この村が存続できるために必要な能力。たとえば火とか水とか、あとはケガを治したり、モノを動かしたりとかね。私のこの怪力も使いようによってはすごく役立つわね」
「そうか」
 確かにそれは使いようによっては村にとても役立つ。
 ……と、同時に、使いようによっては人を殺すことも簡単だろう。
 数十人。それだけの村人が意識を束縛されて、自分と殺し合うのは絶対に避けたい。やはり、村長には絶対にやめさせなければならない。偽りの自分の意志で人を殺す。そんな人の作る地獄は味わいたくない。

 話しながら歩くと村長宅に着いていた。もとから大きな村ではない。いや、小さくなってしまったと言うべきだろう。
 二階の窓は、昨日割れたままだった。さすがにあの部屋にはいないと思うので、試しに玄関のドアをノックしてみた。
 二、三回ノックすると、
「はい」
 と、知らないおばあさんが出てきた。個人的にはかなりびっくりした。
 灰音はさすがに知っているらしく、ある程度やりとりをした後、案内をしてもらうようにお願いした。
 案内された部屋は、玄関から右手の、一階の角部屋だった。今の時間だと光がほとんど当たらない暗い部屋だった。
「来たか。別れは済んだようだな」
「別れるつもりはない」
「……ならどうしようというのだ?」
「まって!」
 灰音がいきなり会話に割って入った。
「路技(ろぎ)兄ちゃんに何をしたの!?」
「特別一人には何もしていない。厄災を殺すために私の能力を強めておいたのみ。ただ、感情が不安定になっている奴には刺激が強すぎたかもしれないがな」
「やっぱり、あんたの仕業だったのね……」
「まあ、結果的にはそうなってしまったな」
 村長は悪びれることもなく答えた。
 この村長は、自分が守るべき対象の村人を何とも思っていない。
 だから、終わらせないといけない。
「あんたがすべてをやめればそれで終わる」
「そんなことができると思っているのか? 村長(わたしたち)はこのために続けてきたんだ。村人が死ぬのを何人も見届けてきた。その犠牲の上に成り立った悲願は目の前にある。この期を逃すと思っているのか?」
「それでも、明塗が死ぬ理由にはならない! 他にも解決策が!」
 志恩は俺のための言葉を叫んだ。
「うるさいわ童(わっぱ)! ただ吠えるだけの奴にこの重しが背負えると思っているのか!」
「……」
「そう、厄災(おまえ)を殺せば、村は救われる。先代からの約束が果たせる。死んだ者達も報われる。これでやっと……」
「ねぇ、ちょっと聞いていい?」
「なんだ? 本来お前はこの場に居る必要はない。それとも、この男を殺すことを志願しにでも来たのか?」
「馬鹿言わないでよ。人を殺すのなんてまっぴらごめんよ。これ以上殺すぐらいなら自分が死んだ方がマシ」
「ではなにが言いたい」
「アキトが厄災なのよね?」
「そうだ。この男のために、どれだけの犠牲を払ったか。私の代では少なくなったとはいえ、村人の死は確かに私の責任という重さになってのしかかっている。私の代で終わらせるのだ。この村の不幸を」
「村人の能力を高めるために、こんなことをしてきて、その結果がアキトなのよね?」
「そうだ。わかりきったことを何度も言わせるな。この男がまがう事なき厄災だ」
「じゃあ……。最初から」


 何もしなければ良かったんじゃないの?


 ……その瞬間。場の空気が永久凍土のように固まった。
 触れてはいけないタブーに触れたような。でも、その言葉は、もはや手段を目的としていた村長の凝り固まった、意地にも似た執着をぶちこわすのには十分だった。
「……え?」
「何もしなければ、ちょっと不思議だけど、平和な村だった」
 責めるわけでもない。ただの疑問をぶつけている灰音。
「陰陽師の言葉を鵜呑みにして、能力の昇華なんて考えなければ、人を殺すことなんかせずに良かった」
 だがその内容は、確実に村の長を追い詰めていた。
「つまり、村長(あんたたち)は何代もかけて、『無駄なこと』をしてきたのよ」
「無…………駄?」
「無駄に、人殺しをして、結局村長(あんたたち)が『厄災』を育てていたのよ。それを、『疑問に思わなかった』の?」
「厄災を……育てていただと? 私達が……」
 自分の行為を疑わない、自信に溢れていた顔が、みるみる歪んでいく。村を救うためにやってきたことが、実は村を滅ぼすためだった。自分のやってきたことが、すべて過ちだった。
「そんな……」
「だから、今すぐこんなことをやめなさい」
 村長の体が脱力していく、誰が見ても答えは出ている。あとは、村長がそれを認めれば良い。
 村長は、俺の方を向く。そして……
「……私は間違ってない! お前を殺せば終わるのも間違いない! だからお前は死ね!」
 答えとして出したのは、自己を守るための反発だった。
 村を守るために、結局また一人村人を殺すという矛盾。
「なっ」
 村長は手元に置いてあった杖の両手に持ち、その片方を引いた。
「仕込み杖!?」
 杖から現れた刀は、光が少ないはずのこの部屋で怪しく、だが強く光っていた。
 それは今まで曲がりなりにも貫いてきた自分の意志か。
「うおぉおおおおお!!!」
 型という概念もない、ただ『斬る』という意志を前面に押し出し刀を振り上げる。
「アキトォッ!」
「……クソォオ!」
 マリアの時とは違う、いきなり死の恐怖に立たされた混乱に抵抗する自分の体。対象を小さく絞る時間も、脳が焼けるように熱くなるのを気にする余裕もない。ただ、今眼前に入る視界すべてを認識し、念じる。

 ズッ
 …………ゴトン。

 村を守るという妄執に駆られ、村人を殺すという矛盾に縛られ生きてきた村長は、自己が育てた厄災によって上半身すべて消し飛ばされ、床に転がり果てた。
 灰音はヘタ……と座り込む。
「お父さん。お母さん……ごめんね……ごめんなさい、ごめんなさい」
 緊張が切れた拍子に思い出したんだろう。
 もうどうにもならない思い出。
 ここに居ない、自分の元に戻ることは一生無い両親に向かって灰音は謝罪し、涙を流していた。
 人形とも呼べないようなオブジェになったそれを見つめる。おおよそ人間の形をしていないからか、ひどく現実味がない。
 でも、俺が間違いなく殺した、人間。
「……終わったのか……?」
 頭はぼーっとしていて何も思いつかない。唐突の出来事に、ただじっと村長を見つめる。

 ……ふいに、手に温かな感触を認めた。
 懐かしい、よく知っている温もり。さっきもそうしてくれた、俺を守ってくれるお守りのような暖かさ。
「終わったよ……明塗」
「……うん……」
 志恩が優しくつぶやいて、その優しさに抱かれながら自然と涙を流した。
 そして、この檻(むら)を縛る掟(鎖)も、妄念で押さえ込まれていた村人の想いも、緩んだひもを引いたように解けていった。

 ◇◇◇◇◇weight to future

 秋も紅葉が最盛期になり、木の少ない施設の周りでも赤や黄色の葉が気ままに宙を舞って、落ちていく。
「確かに、予言通り村の体裁が無くなり、村が滅びるという意味では村にとっての厄災でしたね。でも結局、厄災により人は解放された」
 東陽先生の言葉は言い得て妙だった。自分がその対象だったというのが残念でならないが。
 あれから時間がたったが、やはりあの村では自殺者が何人か出た。灰音の幼なじみの男も。
 でも、残った村人達は
「君も被害者だ。君だけに背負わせはしない。残ったみんなで背負うから。君は今まで通り生きればいい」
 と、優しい言葉をかけてくれた。村の人達の優しさに心が癒される。
 だが、死んだ人達のことは忘れない。
 自分が一人の人間を殺した事も忘れない。
 自分で背負っていくと決めたから。
 これからもずっと俺の中にある重りとして死ぬまで大事に抱いていく。
 その重りが、自分が生きていく理由でもあるから。
 そしてこの先、感情が凄く不安定になることは避けなければいけない。自分の能力を抑えるために。だから、ここからはあまり動けない。
 でも大丈夫だろう、もともとそんなに感情が起伏するタイプじゃないし。
 それに、みんなが居てくれるなら。
 きっと、楽しく過ごせる。

 村人から、何人か小さな子供を孤児院に預けてほしいというお願いが出た。子供にはせめて最初から今の文化の中で生きてほしいから≠ニいうことだそうだ。もちろん、村にも頻繁に帰省(遊びに)させる。
 子供の受け取りを快諾した東陽先生だが、いきなり大量に子供が増えたため、少々ハッスルするには年齢的に大変そうだ。
 俺達は合間合間に孤児院の手伝いをしていたが、ある日、先生や志恩を呼んで伝えることにした。
「俺、この孤児院を継ぐよ」
「ええホント!?」
「いいんですか? 大変ですよ」
「……じゃああたしも!」
「お前は別にいいだろ。他にやりたいことあるだろたくさん」
「これが一番やりたいことよ。それに、大事なのは『何がやりたいか』じゃなくて、『誰とやりたいか』よ。早めに気づきなさいよね鈍感!」
「ああ? なんだよもう全然わかんねえ」
「アキトー。料理持ってきたよー。結婚して!」
「意味わからん」
 灰音は料理教室で講師の仕事をしていた。こうしてたまに料理を持ってきては求婚してくる。何でも一目惚れらしい。
 彼女にとってはすべてが初めてで、眩しく見えるだろう。今までを後悔してるかもしれない。でも、それを取り返す時間は十分にある。
「あ、そうだ。こんどみんなで紅葉見に行こうぜ! 子供達もつれて久々の帰省だ」
「あ、そうか! アキト! 約束のやつしよう!」
「約束ってなに? 明塗。ちょっと裏まで来てくれる?」
「よしみんな外に遊びに行くぞ!」
「ハーイ」
 子供を促して外に連れ出す。
 我ながら逃げ足は速くなったものだ。

 昼下がり、秋晴れの空を堤防で寝転びながら見上げる。
 少し肌寒いが、元気な子供達の姿はそれを感じさせず、この風景にとても合っていた。
「明塗」
 志恩がいつかと同じように俺の顔をのぞき込む。
「つらくなったら言ってよね? 私達、その、家族なんだからさ」
「ああ、ありがとな。頼りにさせてもらう。……でも、きっと大丈夫さ」
「これからは自分のことだけじゃない。あの子供達の未来も少なからず背負っていかなきゃいけない。ねぇ、あんたにその覚悟がある?」
「ああ。最後までやってやるさ。お前も子供も全部背負ってやるよ」
 あの村の人たちから託された子供(重り)。それを背負って、生きて行かなきゃいけない。
 できないわけがない。いや、やらなくちゃいけない。誰一人欠けることなく、この外の世界で幸せになってもらう。いい大人になって、いい親になって、死んでもらう。
 
 空が青い。
 青い空は好きだ。
 隣に誰かがいる幸福を噛みしめながら、見えない未来を必死に生きていこう。

◆◆◆◆◆

「そうか……終わったか……」
 島は報告を聞くと、しばらく窓の方を見る。
 村で起こっていた悲劇はすべて終わった。これからはみんな他の人と同じように暮らしていける。
「俺の責任を彼に取られてしまったな」
「充分苦しんだんだから、これ以上苦しまなくていい」
「……済まないな。君にも色々といやなことをさせてしまった。もう、姿を飾らなくても大丈夫だ。真莉(まり)。君自身を見て生きていく」
「うん」
 姉を殺し、村からも離れていた彼女を橋の下で見つけた島は、恋人であったあいかと容姿がそっくりな彼女に驚いた。また、彼女も島に亡き父の面影を重ねていた。
 宿が無いという彼女を家に招き、話しをした。お互いにすべてを無くした二人は、それぞれの穴を埋めるように過ごし始め、いつか無くてはならないモノになった。
 島は真莉に恋人を重ねてしまうため、一人の人としてみるために容姿を変え、名前も変えた。おままごとのような生活だったが、傷を癒す生活は充実していたかもしれない。

 すべてを失った二人は、寄り添って生きる。
 彼女が生まれ育ったこの里は、誰からも知られることのない、これから出ることもないだろう。
 まるであの村と同じような場所。
 しかし、そこには自分を縛り付けるものはなく、隣には大事に思う人が居てくれている。
 手に入れた平穏に身を浮かべながら、二人は新しい檻で穏やかに時を刻む。




 END

インヘリットウェイト